・・・母はこういう髭を眺めるとき「マア、お父様ったら、こんな髭して!」と云ったものであった。父はその髭をもって帰朝し、九つばかりであった百合子は激しいよろこびと極りわるさと、心に描いていた父とちがっている現実の父の感じとに圧倒され、気分がわるくな・・・ 宮本百合子 「中條精一郎の「家信抄」まえがきおよび註」
・・・ ホーム、スゥイート・ホームと云う言葉をしみじみと味わって見られたらなどと肇が云うと、母親はすぐ、 貴方がお父様になれば好い。などと笑いながら云うと肇はフット笑いかけても唇をつぼめて苦い顔をした。 母親はそんな事を不・・・ 宮本百合子 「千世子(二)」
・・・ そうなったら、彼の本と彼のオルガンとお母様、お父様、くんちゃん、みっちゃん、誰と誰を皆連れて行ってあげ様などとさえ思った事があった。 此の時分に私は神様と云う事を度々きかされた。 そして、漠然と神様があるのかもしれないと云う事・・・ 宮本百合子 「追憶」
・・・ルネッサンス時代の若い貴女デスデモーナは、お父様、わたくしはあの方と結婚しとうございます、というところまで自主的になっているけれども、その夫婦としての愛のなかでは、やっぱり歴然と、絶対の権力、生殺与奪の力をふるうものとしての良人しかみていな・・・ 宮本百合子 「デスデモーナのハンカチーフ」
・・・何時までならいると父が云ったので、私は、黒リボンを帯留めにくくりつけるひまのなかった例の時計を電話機の前の棚のところへ出してのせ、それを眺めながら、だって父様すこし無理よ、十五分のばしてよ。などかけあった。 自働電話を出て、少し行った時・・・ 宮本百合子 「時計」
・・・奥様も順でいなさりやすから昨夜お暇いただいて来やしたのえ、父様も母様も、眼の中さあ入れたいほど様子で居なさる。赤坊のうちは乞食の子さえめんげえもんだっちゅが私でも赤坊の時があったと思やあ不思議な気になりやすない御隠居様。 他愛もない・・・ 宮本百合子 「農村」
・・・をどちらかと云えば単純に只その間に経た自身の辛苦と思い合わせて辛辣に見たらしく、それから数年の間、父と母との明暮にはひどく衝突するような場合もふえて、本能的に父の側に立つ九つの娘に向って母は「お前はお父様の子だ。お父様と一緒にどこへでもお行・・・ 宮本百合子 「母」
・・・静かな、学問に凝る、今は唯一の父様っ子です。母のロザリーに対しては、勿論実におだやかで親切ですが、彼女が求める率直な感情の吐露は欠けているように思われます。 ハフの不名誉な事件後ドラは愈々家におらなくなりました。それどころか、或る晩、ロ・・・ 宮本百合子 「「母の膝の上に」(紹介並短評)」
・・・私を呼び、切角云って来たのを、断るのも余りひどいからと、お父様もたって仰云るから、まあ行こうと思っては居るが、と云う程度である。 私の心持では、Aが、自分から進んで、其丈の配慮をしたことに、深い慶びを感じて居た。其だのに、彼方では一向、・・・ 宮本百合子 「二つの家を繋ぐ回想」
・・・お父様御自分だって却ってよかったって云っていらっしゃる位なの。退院したら浜名湖へ行くんだって楽しみにしていらっしゃるわ」とつけ加えた。三尺ほどの距りをおいて此方側に立ってその話をきいた私は、「それがいい、それがいい」と、いつもい・・・ 宮本百合子 「わが父」
出典:青空文庫