・・・それからまた犯人と目星をつけた女の居所を捜すのに電話番号簿を片端からしらみつぶしに呼び出しをかける場面などもやはり一つの思いつきである。 こうした趣向の新しさを競う結果は時にいろいろな無理を生じる。たとえば大地震で大混乱を生じている同じ・・・ 寺田寅彦 「映画雑感(4[#「4」はローマ数字、1-13-24])」
・・・そうして、若い娘と若い男二人がその奇抜な新宅の設備にかかっている間に、年老った方の男一人は客車の屋根の片端に坐り込んで手風琴を鳴らしながら呑気そうな歌を唄う。ところがその男のよく飼い馴らしたと見える鴉が一羽この男の右の片膝に乗って大人しくす・・・ 寺田寅彦 「鴉と唱歌」
・・・そうして細帯を長くして、子供を縛っておいて、その片端を拝殿の欄干に括りつける。それから段々を下りて来て二十間の敷石を往ったり来たり御百度を踏む。 拝殿に括りつけられた子は、暗闇の中で、細帯の丈のゆるす限り、広縁の上を這い廻っている。そう・・・ 夏目漱石 「夢十夜」
・・・しかるにその物が少しでもこの恋を妨げる者であったならば家であろうが木であろうが人であろうが片端からどしどし打毀して行くより外はない。この恋が成功さえすれば天地が粉微塵コッパイになっても少しも驚きはせぬ。もしまたこの恋がどうしても成功せぬとき・・・ 正岡子規 「恋」
・・・書きたい、としても、それらのつづいておこって来てはいてもバラバラしている印象を片端から書きしるして行っただけでは、やっぱり第三者にまで感銘を実感として伝えることは出来ないでしょう。自分としてもどうもぴったり来るように書けないと失望しがちです・・・ 宮本百合子 「結論をいそがないで」
あるまじめな女のひとが次のような話をした。「私は十三四からずっと印刷工場の女工をやったんですが、女工といっても職場で気持がちがいますよ。私たちは、拾うものを片端から自分の生活に関係なく読むもんだから文化的な水準は一等高いけ・・・ 宮本百合子 「個性というもの」
・・・ 警察は、殺した小林多喜二の猶生きつづける生命の力を畏れて、通夜に来る人々を片端から杉並警察署へ検束した。供えの花をもって行った私も検束された。「小林多喜二を何だと思って来た!」そう詰問された。「小林は日本に類の少い立派な作家だと思うか・・・ 宮本百合子 「今日の生命」
・・・難かしいことを云えば技術的に未だ未熟だし、田舎臭いところもありはするがトラムにはそう云う欠点を片端から克服して行くだけの唯物弁証法的な努力と正しいプロレタリア的素質がある。つまり現代の建設期のソヴェト青年男女が持っている階級的な強みが彼等の・・・ 宮本百合子 「ソヴェト「劇場労働青年」」
・・・まだ七十近い先代の主人が生きていて、隠居為事にと云うわけでもあるまいが、毎朝五時が打つと二階へ上がって来て、寝ている女中の布団を片端からまくって歩いた。朝起は勤勉の第一要件である。お爺いさんのする事は至って殊勝なようであるが、女中達は一向敬・・・ 森鴎外 「心中」
・・・ 人から来た手紙で、返事をしなくてはならないのは、図嚢の中に入れているのだから、それを出して片端から返事を書くのである。東京に、中学に這入っている息子を母に附けて置いてある。第一に母に遣る手紙を書いた。それから筆を措かずに二つ三つ書いた・・・ 森鴎外 「鶏」
出典:青空文庫