・・・ この御慈愛なかりせば、一昨日片腕は折れたであろう。渠は胸に抱いて泣いたのである。 なお仏師から手紙が添って――山妻云々とのお言、あるいはお戯でなかったかも存ぜぬが、……しごとのあいだ、赤門寺のお上人が四五度もしばしば見えて、一定そ・・・ 泉鏡花 「夫人利生記」
・・・「何やいうて、彼やいうて、まるでお話しにならんのですが、誰が何を見違えたやら、突然しらべに来て、膃肭臍の中を捜すんですぞ、真白な女の片腕があると言うて。」……明治四十四年二月 泉鏡花 「露肆」
・・・が案外な道徳的感情に富んでいて、率という場合懐ろ育ちのお嬢さんや女学生上りの奥さんよりも遥に役に立つ事を諄々と説き、「女丈夫というほどでなくとも、こういう人生の荒浪を潜り抜けて来た女でなくては男の真の片腕とするには足りない」と、何処の女であ・・・ 内田魯庵 「二葉亭余談」
・・・ 男のひとは、その夫の片腕をとらえ、二人は瞬時もみ合いました。「放せ! 刺すぞ」 夫の右手にジャックナイフが光っていました。そのナイフは、夫の愛蔵のものでございまして、たしか夫の机の引出しの中にあったので、それではさっき夫が家へ・・・ 太宰治 「ヴィヨンの妻」
・・・興奮して蒼ざめ、ぶるぶる震えている熊本君の片腕をつかんで、とっとと歩き出した。佐伯も私たちの後から、のろのろ、ついて来た。「佐伯君は、いけません。悪魔です。」熊本君は、泣くような声で訴えた。「ご存じですか? きのう留置場から出たばかりな・・・ 太宰治 「乞食学生」
・・・さっさと勘定すまして、酔いどれた数枝のからだを、片腕でぐいと抱きあげ、「立ち給え。いずれ、そんなことだろうと思っていた。たいへんな出世だ。さ、案内し給え。どこの男だ。さちよにそんなことさせちゃ、いけないのだ。」 円タクひろった。淀橋に走・・・ 太宰治 「火の鳥」
・・・両手を組合したり、要点を強めるために片腕をつき出したり、また指の端を唇に触れたりする。しかし身体は決して動かさない。折々彼の眼が妙な表情をして瞬く事がある。するとドイツ語の分らない人でも皆釣り込まれて笑い出す。」「不思議な、人を牽き付け・・・ 寺田寅彦 「アインシュタイン」
・・・それは象のように膨大した片腕を根元から切り落とすのであった。 帰朝後ただ一度浅草で剣劇映画を見た。そうして始めていわゆる活弁なるものを聞いて非常に驚いて閉口してしまって以来それきりに活動映画と自分とはひとまず完全に縁が切れてしまった。今・・・ 寺田寅彦 「映画時代」
・・・その車の入り口のいちばん端にいた浴衣がけの若者が、知らん顔をしてはいたが、片腕でしっかり壁板を突っぱって酔漢がころげ落ちないように垣を作っていた。新青年と旧青年との対照を意外なところで見せられる気がした。 雨気を帯びた南風が吹いて、浅間・・・ 寺田寅彦 「軽井沢」
・・・また、夜中に眼が覚めてみると、片腕から手さきがしびれて泣きたいような歯がゆいような心持がすることがある。これもその、しびれた手さきや手首を揉んでも掻いてもなかなか直らない。これらの場合にはそのしびれた脚や腕の根元に近いところに着物のひだで圧・・・ 寺田寅彦 「猫の穴掘り」
出典:青空文庫