・・・別に絣の羽織を着たのが、板本を抱えて彳む。「諸人に好かれる法、嫌われぬ法も一所ですな、愛嬌のお守という条目。無銭で米の買える法、火なくして暖まる法、飲まずに酔う法、歩行かずに道中する法、天に昇る法、色を白くする法、婦の惚れる法。」・・・ 泉鏡花 「露肆」
・・・というのが出版せられて、その創作集の初版本に、この写真をいれました。それこそ「晩年の肖像」のつもりでしたが、未だに私は死にもせず、たとえば、昼の蛍みたいに、ぶざまにのそのそ歩きまわっているのです。めっきり、太った。この写真をごらんなさい。二・・・ 太宰治 「小さいアルバム」
・・・皆活板本で実記は続国史大系本である。翁草に興津が殉死したのは三斎の三回忌だとしてある。しかし同時にそれを万治寛文の頃としてあるのを見れば、これは何かの誤でなくてはならない。三斎の歿年から推せば、三回忌は慶安元年になるからである。そこで改めて・・・ 森鴎外 「興津弥五右衛門の遺書(初稿)」
出典:青空文庫