十二月八日 〔牛込区富久町一一二市ヶ谷刑務所の宮本顕治宛 淀橋区上落合二ノ七四〇より〕 第一信。 [自注1] これは何と不思議な心持でしょう。ずっと前から手紙をかくときのことをいろいろ考えていたのに、いざ書くと・・・ 宮本百合子 「獄中への手紙」
・・・昨今人々の耳目をゆるがしている牛込の産婆の嬰児殺しも、この未解決な社会問題にからんでいる。民主主義保育連盟が子供の生きてゆける場所の建設について、具体的に動こうとしはじめていることの必然が、はっきりここに示されている。 暮から東京裁判は・・・ 宮本百合子 「砂糖・健忘症」
・・・電車のルートの工合で、動き廻る道筋を制御される我々は、東京の他の沢山の隅々を、何か特別なきっかけのない限り外国に在る街同然知らないで過ごす通り、牛込、神楽坂などに縁遠かった。 けれども、思い出して見ると、神楽坂は、さすがに去年までまるで・・・ 宮本百合子 「茶色っぽい町」
坪内先生に、はじめて牛込余丁町のお宅でおめにかかったのは、もう十数年以前、私が十八歳の晩春であったと思う。両親が私の書いたものを坪内先生に見ていただくようにきめて、母が私を連れ余丁町のお家を訪ねたのであった。 私は受け・・・ 宮本百合子 「坪内先生について」
・・・ 間もなく御仙さんが帰ろうと云い出して御まきさんも、「えらい御やかましゅう。牛込の姉はんのとこに居まっさかえ、貴方も御いでやす。まってまっせ」 中腰をしてこんなことを云いはじめた。「マア、ようござんしょう、も一寸いらっしゃい・・・ 宮本百合子 「つぼみ」
・・・ 一九二五年四月〔牛込区馬場下町東光館 富澤有為男宛 小石川区高田老松町五九より〕 原稿を拝見いたしました。 遠慮なく加筆したところもあり、削ったところもございます。何卒あしからず。「この頃の若いもの云々」の話、率直・・・ 宮本百合子 「日記・書簡」
・・・尾世川が牛込の方から此方へ越して来てから、藍子も、同じ小石川の向う側の高台へ部屋を見つけたのであった。鼠坂を登って、右へ曲る。煙草屋の二階に尾世川は暮していた。「今日は」「おや、こんにちは」 丸髷に結った神さんが、狭い店先の奥か・・・ 宮本百合子 「帆」
・・・ 家主は牛込に居た。其処でAは一つ門の中に二軒の家のある、此処を教わって来たのであった。 建仁寺のひどく壊れた外廻りを見廻し、自分は黙って潜り戸をあけた。そして、左右に浅い植込みを持ち、奥にその女の住う格子戸を眺める門内に立つと、覚・・・ 宮本百合子 「又、家」
・・・ お佐代さんが国から出た年、仲平は小川町に移り、翌年また牛込見附外の家を買った。値段はわずか十両である。八畳の間に床の間と廻り縁とがついていて、ほかに四畳半が一間、二畳が一間、それから板の間が少々ある。仲平は八畳の間に机を据えて、周・・・ 森鴎外 「安井夫人」
・・・ 初めて早稲田南町の漱石山房を訪れたのは、大正二年の十一月ごろ、天気のよい木曜日の午後であったと思う。牛込柳町の電車停留場から、矢来下の方へ通じる広い通りを三、四町行くと、左側に、自動車がはいれるかどうかと思われるくらいの狭い横町があっ・・・ 和辻哲郎 「漱石の人物」
出典:青空文庫