・・・ それはとにかく、現代日本の新聞の社会面記事として、こういうのは珍しい科学的な特種である。たとえ半分がうそだとしてもいつもの型に入った人殺しや自殺の記事よりも比較のできないほど有益な知識の片影と貴重な暗示の衝動とを読者に与える。 こ・・・ 寺田寅彦 「破片」
・・・らしい周囲の中に聞き味おうとすればやはりこの辺の特種な限られた場所を択ばなければならない。 自分は折々天下堂の三階の屋根裏に上って都会の眺望を楽しんだ。山崎洋服店の裁縫師でもなく、天賞堂の店員でもないわれわれが、銀座界隈の鳥瞰図を楽・・・ 永井荷風 「銀座」
・・・道徳的にはかつて『見果てぬ夢』という短篇小説中にも書いた通り、特種の時代とその制度の下に発生した花柳界全体は、最初から明白に虚偽を標榜しているだけに、その中にはかえって虚偽ならざるもののある事を嬉しく思うのであった。つまり正当なる社会の偽善・・・ 永井荷風 「妾宅」
・・・ 毎年冬も十二月になってから、青々と晴れわたる空の色と、燈火のような黄いろい夕日の影とを見ると、わたくしは西洋の詩文には見ることを得ない特種の感情をおぼえる。クリスマスの夜の空に明月を仰ぎ、雪の降る庭に紅梅の花を見、水仙の花の香をかぐ時・・・ 永井荷風 「西瓜」
・・・でも出入りの不便な貧しい場末の町に引込んで秋雨を聴きつつ老い行く心はどんなであろう……何の気なしに思いつくと、自分は今までは唯淋しいとばかり見ていた場末の町の心持に、突然人間の零落、老衰、病死なぞいう特種の悲惨を附加えて見ずにはいられなかっ・・・ 永井荷風 「夏の町」
・・・殺人姦淫事件は戦争前平和な世の中にも常にあった事であるから、この事だけでは特種な新聞を発行する資料にはなるまいと思われていたからである。およそ世の読者に興味のあるような残忍の事件はそう毎日毎日、紙上を埋めるほど頻々として連続するものではない・・・ 永井荷風 「裸体談義」
・・・アメリカの曠野に立つ樫フランスの街道に並ぶ白楊樹地中海の岸辺に見られる橄欖の樹が、それぞれの姿によってそれぞれの国土に特種の風景美を与えているように、これは世界の人が広重の名所絵においてのみ見知っている常磐木の松である。 自分は三門前と・・・ 永井荷風 「霊廟」
・・・この仕方で出版された書物は、その特種なる国民的趣味を代表する表紙の一色によつて、作者自身の属してゐる民族別を表明するの外何の個別的な趣味をも指定してゐない。つまりその本当の装幀は、一切読者自身の自由意志に任かすのである。それによつて読者は、・・・ 萩原朔太郎 「装幀の意義」
・・・けれども先生は、女性同士の間の、特種な無関心を御存じでいらっしゃいますでしょう。或時は同性の心易さからの無関心――無邪気な放心であり、或時には微妙な、宛然流れ混る雲のように微妙な、細心な uneasy から、無関心に遁げる場合もございましょ・・・ 宮本百合子 「C先生への手紙」
時局と作家 浪漫主義者の自己暴露 九月の諸雑誌は、ほとんど満目これ北支問題である。そして、時節柄いろいろの形で特種の工夫がされているのであるが、いわゆる現地報告として、相当の蘊蓄・・・ 宮本百合子 「文芸時評」
出典:青空文庫