・・・やや鳶色の口髭のかげにやっと犬歯の見えるくらい、遠慮深そうに笑ったのである。「君は何しろ月給のほかに原稿料もはいるんだから、莫大の収入を占めているんでしょう。」「常談でしょう」と言ったのは今度は相手の保吉である。それも粟野さんの言葉・・・ 芥川竜之介 「十円札」
・・・あの人は無理に笑ってみせようと努めたようだが、ひくひく右の頬がひきつって、あの人の特徴ある犬歯がにゅっと出ただけのことである。 私はあさましく思い、「あなたよりは、あなたの奥さんの方が、きっぱりして居るようです。私に決闘を申込んで来まし・・・ 太宰治 「女の決闘」
・・・ただし、左の下あごの犬歯の根だけ残っていたのが容易に抜けないので、がんじょうな器械を押し当ててぐいぐいねじられたときは顎骨がぎしぎし鳴って今にも割れるかと思うようで気持ちが悪かった。手術がすんだら看護婦が葡萄酒を一杯もって来て飲まされ、二三・・・ 寺田寅彦 「自由画稿」
・・・草食獣にある臼歯もあれば肉食類の犬歯もある。混食をしているのが人類には一番自然である。そう出来てるのだから仕方ない。それをどう斯う云うのは恩恵深き自然に対して正しく叛旗をひるがえすものである。よしたまえ、ビジテリアン諸君、あんまり陰気なおま・・・ 宮沢賢治 「ビジテリアン大祭」
出典:青空文庫