・・・四 狂歌師岡鹿楼笑名 前記の報条は多分喜兵衛自作の案文であろう。余り名文ではないが、喜兵衛は商人としては文雅の嗜みがあったので、六樹園の門に入って岡鹿楼笑名と号した。狂歌師としては無論第三流以下であって、笑名の名は狂歌の専門・・・ 内田魯庵 「淡島椿岳」
・・・半井卜養という狂歌師の狂歌に、浦島が釣の竿とて呉竹の節はろくろく伸びず縮まず、というのがありまするが、呉竹の竿など余り感心出来ぬものですが、三十六節あったとかで大に節のことを褒めていまする、そんなようなものです。それで趣味が高じて来るという・・・ 幸田露伴 「幻談」
・・・ 八雲氏の夫人が古本屋から掘り出して来たという「狂歌百物語」の中から気に入った四十八首を英訳したのが「ゴブリン・ポエトリー」という題で既刊の著書中に採録されている。それの草稿が遺族の手もとにそのままに保存されていたのを同氏没後満三十年の・・・ 寺田寅彦 「小泉八雲秘稿画本「妖魔詩話」」
・・・黄いろい皮の面に薄緑の筋が六、七本ついているその形は、浮世絵師の描いた狂歌の摺物にその痕を留めるばかり。西瓜もそのころには暗碧の皮の黒びかりしたまん円なもののみで、西洋種の細長いものはあまり見かけなかった。 これは余談である。わたくしは・・・ 永井荷風 「西瓜」
・・・ 天明は狂歌盛んに行われ、黄表紙ようやく勢いを得たる時なり。されど俳句とは直接に関係するところなし。ただこの時代が文学美術全般の勃興を成したるは文運の隆盛を促すべき大勢に駆られたるものにして、その大勢なるものはかえって各種の文学美術が相・・・ 正岡子規 「俳人蕪村」
・・・姓は源、氏は細木、定紋は柊であるが、店の暖簾には一文字の下に三角の鱗形を染めさせるので、一鱗堂と号し、書を作るときは竜池と署し、俳句を吟じては仙塢と云い、狂歌を詠じては桃江園また鶴の門雛亀、後に源僊と云った。 竜池は父を伊兵衛と云った。・・・ 森鴎外 「細木香以」
出典:青空文庫