・・・』と、世話を焼いた事があるのですが、三浦は反ってその度に、憐むような眼で私を眺めながら、『そのくらいなら何もこの年まで、僕は独身で通しはしない。』と、まるで相手にならないのです。が、友だちはそれで黙っていても、親戚の身になって見ると、元来病・・・ 芥川竜之介 「開化の良人」
・・・息子、兄、独身者、愛蘭土人、……それから気質上のロマン主義者、人生観上の現実主義者、政治上の共産主義者……」 僕等はいつか笑いながら、椅子を押しのけて立ち上っていた。「それから彼女には情人だろう。」「うん、情人、……まだある。宗・・・ 芥川竜之介 「彼 第二」
・・・ 彼の言葉は独身者の彼だけに言われるのに違いなかった。彼の友だちのY中尉は一年ほど前に妻帯していたために大抵水兵や機関兵の上にわざと冷笑を浴びせていた。それはまた何ごとにも容易に弱みを見せまいとするふだんの彼の態度にも合していることは確・・・ 芥川竜之介 「三つの窓」
・・・ つい、の字なりに畝った小路の、大川へ出口の小さな二階家に、独身で住って、門に周易の看板を出している、小母さんが既に魔に近い。婦でト筮をするのが怪しいのではない。小僧は、もの心ついた四つ五つ時分から、親たちに聞いて知っている。大女の小母・・・ 泉鏡花 「絵本の春」
・・・外に姉さんも何も居ない、盛の頃は本家から、女中料理人を引率して新宿停車場前の池田屋という飲食店が夫婦づれ乗込むので、独身の便ないお幾婆さんは、その縁続きのものとか、留守番を兼ねて後生のほどを行い澄すという趣。 判事に浮世ばなしを促された・・・ 泉鏡花 「政談十二社」
・・・篠田は今でも独身で居りまする。二人ともその命日は長く忘れませんと申すのでありまする。 飛んだ長くなりまして、御退屈様、済みませんでございました、失礼。明治三十三年五月 泉鏡花 「湯女の魂」
・・・ おとよは独身になって、省作は妻ができた。諦めるとことばには言うても、ことばのとおりに心はならない。ならないのがあたりまえである。浮気の恋ならば知らぬこと、真底から思いあった間柄が理屈で諦められるはずがない。たやすく諦めるくらいならば恋・・・ 伊藤左千夫 「春の潮」
・・・この書の主人公レオナドダヴィンチの独身生活が今さらのごとく懐かしくなった。 仰向けに枕して読みかけたが、ふと気がつくと、月が座敷中にその光を広げている。おもてに面した方の窓は障子をはずしてあったので、これは危険だという考えが浮んだ。こな・・・ 岩野泡鳴 「耽溺」
・・・五 神楽坂路考 これほどの才人であったが、笑名は商売に忙がしかった乎、但しは註文が難かしかった乎して、縁が遠くてイツまでも独身で暮していた。 その頃牛込の神楽坂に榎本という町医があった。毎日門前に商人が店を出したというほ・・・ 内田魯庵 「淡島椿岳」
・・・妻子を抱えているものは勿論だが、独身者すらも糊口がし兼ねて社長の沼南に増給を哀願すると、「僕だって社からは十五円しか貰わないよ」というのが定った挨拶であった。増給は魯か、ドンナ苦しい事情を打明けられても逆さに蟇口を振って見せるだけだ。「十五・・・ 内田魯庵 「三十年前の島田沼南」
出典:青空文庫