・・・のままのと、一笊は、藍浅く、颯と青に洗上げたのを、ころころと三つばかり、お町が取って、七輪へ載せ、尉を払い、火箸であしらい、媚かしい端折のまま、懐紙で煽ぐのに、手巾で軽く髪の艶を庇ったので、ほんのりと珊瑚の透くのが、三杯目の硝子盃に透いて、・・・ 泉鏡花 「古狢」
・・・ひとかかえもある珊瑚を見るようだ。珊瑚の幹をならべ、珊瑚の枝をかわしている上に、緑青をべたべた塗りつけたようにぼってりとした青葉をいただいている。老爺は予のために、楓樹にはいのぼって上端にある色よい枝を折ってくれた。手にとれば手を染めそうな・・・ 伊藤左千夫 「河口湖」
・・・蔓を糸でつないで、首にかけると、桜桃は、珊瑚の首飾りのように見えるだろう。 しかし、父は、大皿に盛られた桜桃を、極めてまずそうに食べては種を吐き、食べては種を吐き、食べては種を吐き、そうして心の中で虚勢みたいに呟く言葉は、子供よりも親が・・・ 太宰治 「桜桃」
・・・林檎の果実が手毬くらいに大きく珊瑚くらいに赤く、桐の実みたいに鈴成りに成ったのである。こころみにそのひとつをちぎりとり歯にあてると、果実の肉がはち切れるほど水気を持っていることとて歯をあてたとたんにぽんと音高く割れ冷い水がほとばしり出て鼻か・・・ 太宰治 「ロマネスク」
・・・桃色珊瑚ででも彫刻したようで、しかもそれよりももっと潤沢と生気のある多肉性の花弁、その中に王冠の形をした環状の台座のようなものがあり、周囲には純白で波形に屈曲した雄蕊が乱立している。およそ最も高貴な蘭科植物の花などよりも更に遥かに高貴な相貌・・・ 寺田寅彦 「高原」
・・・昔の日本は珊瑚かポリポくらげのような群生体で、半分死んでも半分は生きていられた。今の日本は有機的の個体である。三分の一死んでも全体が死ぬであろう。 この恐ろしい強敵に備える軍備はどれだけあるか。政府がこれに対してどれだけの予算を組んでい・・・ 寺田寅彦 「時事雑感」
・・・籐のステッキ、更紗、貝がら、貝細工、菊形の珊瑚礁、鸚鵡貝など。 出帆が近くなると甲板は乗客と見送りでいっぱいになった。けさ乗り込んだ二等客の子供だけが四十二人あるとハース氏が言う。神戸で乗った時は全体で九人であったのに。 マライ人が・・・ 寺田寅彦 「旅日記から(明治四十二年)」
・・・「ビステキの化石を食わせるぞ」と一人が云う。「造り花なら蘭麝でも焚き込めばなるまい」これは女の申し分だ。三人が三様の解釈をしたが、三様共すこぶる解しにくい。「珊瑚の枝は海の底、薬を飲んで毒を吐く軽薄の児」と言いかけて吾に帰りたる・・・ 夏目漱石 「一夜」
・・・と女は安らかぬ心のほどを口元に見せて、珊瑚の唇をぴりぴりと動かす。「今日のみの縁とは? 墓に堰かるるあの世までも渝らじ」と男は黒き瞳を返して女の顔を眤と見る。「さればこそ」と女は右の手を高く挙げて広げたる掌を竪にランスロットに向ける・・・ 夏目漱石 「薤露行」
・・・見ると珊瑚のような唇が電気でも懸けたかと思われるまでにぶるぶると顫えている。蝮が鼠に向ったときの舌の先のごとくだ。しばらくすると女はこの紋章の下に書きつけてある題辞を朗らかに誦した。Yow that the beasts do we・・・ 夏目漱石 「倫敦塔」
出典:青空文庫