・・・現についこの間も、ある琵琶法師が語ったのを聞けば、俊寛様は御歎きの余り、岩に頭を打ちつけて、狂い死をなすってしまうし、わたしはその御死骸を肩に、身を投げて死んでしまったなどと、云っているではありませんか? またもう一人の琵琶法師は、俊寛様は・・・ 芥川竜之介 「俊寛」
・・・話の中、西廂記と琵琶記とを間違え居られし為、先生も時には間違わるる事あるを知り、反って親しみを増せし事あり。部屋は根津界隈を見晴らす二階、永井荷風氏の日和下駄に書かれたると同じ部屋にあらずやと思う。その頃の先生は面の色日に焼け、如何にも軍人・・・ 芥川竜之介 「森先生」
・・・墨染の麻の法衣の破れ破れな形で、鬱金ももう鼠に汚れた布に――すぐ、分ったが、――三味線を一挺、盲目の琵琶背負に背負っている、漂泊う門附の類であろう。 何をか働く。人目を避けて、蹲って、虱を捻るか、瘡を掻くか、弁当を使うとも、掃溜を探した・・・ 泉鏡花 「伯爵の釵」
・・・一室寂たることしばしなりし、謙三郎はその清秀なる面に鸚鵡を見向きて、太く物案ずる状なりしが、憂うるごとく、危むごとく、はた人に憚ることあるもののごとく、「琵琶。」と一声、鸚鵡を呼べり。琵琶とは蓋し鸚鵡の名ならむ。低く口笛を鳴すとひとしく、・・・ 泉鏡花 「琵琶伝」
・・・ されば夜となく、昼となく、笛、太鼓、鼓などの、舞囃子の音に和して、謡の声起り、深更時ならぬに琴、琵琶など響微に、金沢の寝耳に達する事あり。 一歳初夏の頃より、このあたりを徘徊せる、世にも忌わしき乞食僧あり、その何処より来りしやを知・・・ 泉鏡花 「妖僧記」
・・・浅草を去ったのは明治十二、三年以後で、それから後は牛島の梵雲庵に梵唄雨声と琵琶と三味線を楽んでいた。九 椿岳の人物――狷介不羈なる半面 椿岳の出身した川越の内田家には如何なる天才の血が流れていたかは知らぬが、長兄の伊藤八兵衛・・・ 内田魯庵 「淡島椿岳」
・・・ 夜、安代の旅籠屋で琵琶歌があるから、聞きに行かぬかと誘われたけれど行かなかった。日が暮れると、按摩の笛の音が淋しく聞かれるばかりである。 此の頃来たという美しい女の飴売が、二人の子供を連れて太鼓を叩きながら、田中の方から、昼も、夜・・・ 小川未明 「渋温泉の秋」
・・・『するとすぐ僕の耳に入ったのは琵琶の音であった。そこの店先に一人の琵琶僧が立っていた。歳のころ四十を五ツ六ツも越えたらしく、幅の広い四角な顔の丈の低い肥えた漢子であった。その顔の色、その目の光はちょうど悲しげな琵琶の音にふさわしく、あの・・・ 国木田独歩 「忘れえぬ人々」
・・・ 作品のなかに兵卒が現れだしたのは、これよりさき大倉桃郎の「琵琶歌」にも見られるが、花袋は、もっとよく兵卒に即して、戦場を描いている。これは、日清戦争当時の独歩や蘆花が、士官若しくはそれ以上しか眼にうつらなかったのに比して、一段の進歩と・・・ 黒島伝治 「明治の戦争文学」
・・・ 例えば殺人罪を犯した浪人の一団の隠れ家の見当をつけるのに、目隠しされてそこへ連れて行かれた医者がその家で聞いたという琵琶の音や、ある特定の日に早朝の街道に聞こえた人通りの声などを手掛りとして、先ず作業仮説を立て、次にそのヴェリフィケー・・・ 寺田寅彦 「西鶴と科学」
出典:青空文庫