・・・……これが生得絵を見ても毛穴が立つほど鼠が嫌なんだと言います。ここにおいて、居士が、騎士に鬢髪を染めた次第です。宿のその二階家の前は、一杯の人だかりで……欄干の二階の雨戸も、軒の大戸も、ぴったりと閉まっていました。口々に雑談をするのを聞くと・・・ 泉鏡花 「半島一奇抄」
・・・て、てかてかとした天窓を掻き、「かような頭を致しまして、あてこともない、化物沙汰を申上げまするばかりか、譫言の薬にもなりませんというは、誠に早やもっての外でござりますが、自慢にも何にもなりません、生得大の臆病で、引窓がぱたりといっても箒・・・ 泉鏡花 「湯女の魂」
・・・辰弥は生得馴るるに早く、咄嗟の間に気の置かれぬお方様となれり。過分の茶代に度を失いたる亭主は、急ぎ衣裳を改めて御挨拶に罷り出でしが、書記官様と聞くよりなお一層敬い奉りぬ。 琴はやがて曲を終りて、静かに打ち語らう声のたしかならず聞ゆ。辰弥・・・ 川上眉山 「書記官」
・・・もはや、私には人に恐縮しなければならぬような生得の特権が、何も無い。かえって、マイナスだけである。その自覚と、もう一つ。下宿の一室に、死ぬる気魄も失って寝ころんでいる間に、私のからだが不思議にめきめき頑健になって来たという事実をも、大いに重・・・ 太宰治 「東京八景」
二科会 有島生馬氏。 この人の色彩が私にはあまり愉快でない。いつも色と色とがけんかをしているようで不安を感じさせられる。ことしの絵も同様である。生得の柔和な人が故意に強がっているようなわざとらしさを感じる。それ・・・ 寺田寅彦 「昭和二年の二科会と美術院」
・・・自ら生得の痴愚にあき人生の疲れを予感した末世の女人にはお身の歓びは 分ち与えられないのだろうか真珠母の船にのりアポロンの前駆で生を双手に迎えた幸運のアフロディテ *ああ、劇しい嵐。よい・・・ 宮本百合子 「海辺小曲(一九二三年二月――)」
・・・心ある人々は、死んで、抗議の云えない人の墓を、生前好かれていなかったと知っている者が、今こそと自分の生得の力をふるってこしらえた心根をいやしんだ。そして、漱石を気の毒に思った。その墓は、まるで、どうだ、何か云えるなら云ってみろ、と立っている・・・ 宮本百合子 「行為の価値」
・・・けれども、英国人たる者が生得権として敬虔、真実な徳義を持つと云う信条は決して否定しない。自分等は選ばれたる者で、特別な精神高揚の努力なしで、仁慈に達せられると思って居る。自分の金を出して一つの教会を建てる騒々しい成上りものは、そう云うことで・・・ 宮本百合子 「無題(四)」
・・・しかし生得、人の悶え苦しんだり、泣き叫んだりするのを見たがりはしない。物事がおだやかに運んで、そんなことを見ずに済めば、その方が勝手である。今の苦笑いのような表情は人に難儀をかけずには済まぬとあきらめて、何か言ったり、したりするときに、この・・・ 森鴎外 「山椒大夫」
出典:青空文庫