・・・そして犬の血のついたままの脇差を逆手に持って、「お鷹匠衆はどうなさりましたな、お犬牽きは只今参りますぞ」と高声に言って、一声快よげに笑って、腹を十文字に切った。松野が背後から首を打った。 五助は身分の軽いものではあるが、のちに殉死者の遺・・・ 森鴎外 「阿部一族」
・・・れた、見るも情ない死骸が数多く散ッているが、戦国の常習、それを葬ッてやる和尚もなく、ただところどころにばかり、退陣の時にでも積まれたかと見える死骸の塚が出来ていて、それにはわずかに草や土やまたは敝れて血だらけになッている陣幕などが掛かッてい・・・ 山田美妙 「武蔵野」
・・・と云うのは、秋三の祖父が、血統の不浄な貧しい勘次の父の請いを拒絶した所、勘次の母は自ら応じてその家へ走ったことから始まった。祖父の死後秋三の父は莫大な家産を蕩尽して出奔した。それに引き換え、勘次の父は村会を圧する程隆盛になって来た。そこで勘・・・ 横光利一 「南北」
・・・一度なんぞは、ある気狂い女が夢中に成て自分の子の生血を取てお金にし、それから鬼に誘惑されて自分の心を黄金に売払ったという、恐ろしいお話しを聞いて、僕はおっかなくなり、青くなって震えたのを見て「やっぱりそれも夢だったよ」と仰って、淋しそうにニ・・・ 若松賤子 「忘れ形見」
・・・白い柔らかさは抽出せられているが、中に血の通っている、しなやかな、生に張り切った実質の感じは、全然捨て去られている。全体を漠然と描いておいて、処々に細かい描写を散らしてあるのも、暗示的な描き方ではあるが、抽象的に過ぎる。思うに画家の目ざすと・・・ 和辻哲郎 「院展遠望」
出典:青空文庫