・・・ぶ事が何よりも好きなので、家で仕事をしていながらも、友あり遠方より来るのをいつもひそかに心待ちにしている状態で、玄関が、がらっとあくと眉をひそめ、口をゆがめて、けれども実は胸をおどらせ、書きかけの原稿用紙をさっそく取りかたづけて、その客を迎・・・ 太宰治 「朝」
・・・ 井伏さんも、少し元気を取り戻したようで、握り飯など召し上りながら、原稿用紙の裏にこまかい字でくしゃくしゃと書く。私はそれを一字一字、別な原稿用紙に清書する。「ここは、どう書いたらいいものかな。」 井伏さんはときどき筆をやすめて・・・ 太宰治 「『井伏鱒二選集』後記」
・・・ 私は黙って立って、六畳間の机の引出しから稿料のはいっている封筒を取り出し、袂につっ込んで、それから原稿用紙と辞典を黒い風呂敷に包み、物体でないみたいに、ふわりと外に出る。 もう、仕事どころではない。自殺の事ばかり考えている。そうし・・・ 太宰治 「桜桃」
・・・貯金通帳と、払戻し用紙それから、ハンコと、三つを示され、そうして、「書いてくれや」と言われたら、あとは何も聞かずともわかる。「いくら?」「四拾円。」 私はその払戻し用紙に四拾円也としたため、それから通帳の番号、住所、氏名を書き記・・・ 太宰治 「親という二字」
・・・ あなたから長いお手紙をいただき、ただ、こいつあいかんという気持で鞄に、ペン、インク、原稿用紙、辞典、聖書などを詰め込んで、懐中には五十円、それでも二度ほど紙幣の枚数を調べてみて、ひとり首肯き、あたふたと上野駅に駈け込んで、どもりながら・・・ 太宰治 「風の便り」
・・・そうして妻に言いつけて、そのくしゃくしゃの洋箋の文字を、四百字詰の原稿用紙に書き写させる。三十何枚、というのが、一ばん長かった。私は、それを、ほうぼうの職業雑誌に、たのむのである。「割に素直に書かれて在ると思いますから、いい作品だと思います・・・ 太宰治 「鴎」
・・・赤児の難解に多少の興を覚え、こいつをひとつと思って原稿用紙をひろげただけのことである。それゆえこの小説の臓腑といえば、あるひとりの男の三歳二歳一歳の思い出なのである。その余のことは書かずともよい。思い出せば私が三つのとき、というような書きだ・・・ 太宰治 「玩具」
・・・原稿用紙を片づけながら、庭の樹木の事など私に説明して聞かせた。それから、ふっと気がついたように、「着物が来ている。中畑さんから送って来たのだ。なんだか、いい着物らしいよ。」と言った。 黒羽二重の紋服一かさね、それに袴と、それから別に・・・ 太宰治 「帰去来」
師走上旬 月日。「拝復。お言いつけの原稿用紙五百枚、御入手の趣、小生も安心いたしました。毎度の御引立、あり難く御礼申しあげます。しかも、このたびの御手簡には、小生ごときにまで誠実懇切の御忠告、あまり文壇・・・ 太宰治 「虚構の春」
・・・ 書物の大きさは三二×四三・五センチメートルで、用紙は一枚漉きの純白の鳥の子らしい。表紙は八雲氏が愛用していた蒲団地から取ったものだそうで、紺地に白く石燈籠と萩と飛雁の絵を飛白染めで散らした中に、大形の井の字がすりが白くきわ立って織り出・・・ 寺田寅彦 「小泉八雲秘稿画本「妖魔詩話」」
出典:青空文庫