・・・其家は代々の稼ぎ手で家も屋敷も自分のもので田畑も自分で作るだけはあった。手堅にすれば楽な身上であった。夫婦は老いて子がなかった。彼はそこへ行ってから間もなく娵をとった。其家の財産は太十の縁談を容易に成就させたのであった。二 ・・・ 長塚節 「太十と其犬」
・・・(どっちからお出(郡から土性調査をたのまれて盛岡(田畑の地味のお調 老人は眉を寄せてしばらく群青いろに染まった夕ぞらを見た。それからじつに不思議な表情をして笑った。(青金で誰か申し上げたのはうちのことですが、何分汚な・・・ 宮沢賢治 「泉ある家」
・・・という自身には封じられていた希望で、田畑を売ってまで「大学を出した」日本の親のいじらしい心は、他の半面で、日本の軍国主義社会を支え維持させて行く大きな経済的社会的基盤となった。というのは「うちの息子は学問ができて人物もしっかりしているのに、・・・ 宮本百合子 「新しいアカデミアを」
・・・ ところが実際では日本の全耕地所有農家の約半数が五反未満の田畑をもっているに過ない。 玄米一石の生産費自作農二五円八七銭 小作農二八円七一銭 現在の農村は事変以来二割近い手不足で甚だ困難している。従って老人、女子、子・・・ 宮本百合子 「新しき大地」
・・・ 町のステーションから、軒の低い町筋をすぎて、両方が田畑になってからの道は小半里、つきあたりに、有るかなしの、あまり見だてもない村役場は建って居る。和洋折衷の三階建で、役場と云うよりは「三階」と云う方が分りやすい。 この「三階」につ・・・ 宮本百合子 「農村」
・・・ 五助はどうしても聴かずに、五月七日にいつも牽いてお供をした犬を連れて、追廻田畑の高琳寺へ出かけた。女房は戸口まで見送りに出て、「お前も男じゃ、お歴々の衆に負けぬようにおしなされい」と言った。 津崎の家では往生院を菩提所にしていたが・・・ 森鴎外 「阿部一族」
・・・ここには石浦というところに大きい邸を構えて、田畑に米麦を植えさせ、山では猟をさせ、海では漁をさせ、蚕飼をさせ、機織をさせ、金物、陶物、木の器、何から何まで、それぞれの職人を使って造らせる山椒大夫という分限者がいて、人なら幾らでも買う。宮崎は・・・ 森鴎外 「山椒大夫」
・・・財産としては、宅地を少し離れた所に田畑を持っていて、年来家で漢学を人の子弟に教えるかたわら、耕作をやめずにいたのである。しかし仲平の父は、三十八のとき江戸へ修行に出て、中一年おいて、四十のとき帰国してから、だんだん飫肥藩で任用せられるように・・・ 森鴎外 「安井夫人」
・・・夢を見ているように美しい、ハムレット太子の故郷、ヘルジンギヨオルから、スウェエデンの海岸まで、さっぱりした、住心地の好さそうな田舎家が、帯のように続いていて、それが田畑の緑に埋もれて、夢を見るように、海に覗いている。雨を催している日の空気は・・・ 著:ランドハンス 訳:森鴎外 「冬の王」
一 秋の雨がしとしとと松林の上に降り注いでいます。おりおり赤松の梢を揺り動かして行く風が消えるように通りすぎたあとには、――また田畑の色が豊かに黄ばんで来たのを有頂天になって喜んでいるらしいおしゃべりな雀が羽音をそろえて屋根や軒・・・ 和辻哲郎 「ある思想家の手紙」
出典:青空文庫