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・・・ その頃牛込の神楽坂に榎本という町医があった。毎日門前に商人が店を出したというほど流行したが、実収の多いに任して栄耀に暮し、何人も妾を抱えて六十何人の児供を産ました。その何番目かの娘のおらいというは神楽坂路考といわれた評判の美人であって・・・
内田魯庵
「淡島椿岳」
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・・・決して、おさすり町医は求めない。真に科学的にその病原を追究して、科学の方法によって治療することを知っている医者を求める、癒りたい、という欲求をはっきり押し出して、医者をさがす。それこそ人間の当然のやりかたである。人民の社会生活が戦争犯罪的権・・・
宮本百合子
「女の手帖」