・・・ 後年光琳の流れのなかで定式のようになった松の翠の笠のような形に重ねられる手法、画面の中央を悠々とうねり流れている厚い白い水の曲折、鮮やかな緑青で、全く様式化されながらどっしりと、とどこおるもののない量感で据えられた山の姿、それらは、宗・・・ 宮本百合子 「あられ笹」
・・・土民兵士の日常生活、彼等の白い被衣をかぶった妻子たちとの暮しぶり等は一つも画面に取り入れられていない。ただそこには調練と沙漠の行軍と描き出されてはいない敵との交戦があるだけである。これらの描写を通して、ルドヴィッチが最後にクリスチアーナに向・・・ 宮本百合子 「イタリー芸術に在る一つの問題」
・・・飯田氏は、一ヵ年間の苦心になる作品であり、冬期は全く撮らなかったと言われた。画面は美に必要な光線が不足だからなのであろう。五月と秋晴れの一ヵ月の午前だけとられたそうだ。建物も整然、子供らも整然。整然。すべてこれ優等児製造はかくの如き文化性か・・・ 宮本百合子 「映画の語る現実」
・・・の中の恋愛的場面は、それをありきたりな形に現わして説明せず、その裏の感情から画面に現わして行って十分の効果を上げていた例であるし「巴里の屋根の下」などでもルネ・クレイルは、人間が特別なセットの中でだけ恋愛をするものではないという健全な理解の・・・ 宮本百合子 「映画の恋愛」
・・・あの画面に漲っていた傷心の感、自分が時に苦しむ或る気分が、不思議に柔かい黄色帽となって、椅子にとまった瘠男の頭にのっているような気がしました。〔一九二二年十二月〕 宮本百合子 「外来の音楽家に感謝したい」
・・・ 事情にくわしくないから間違っているかもしれないが、婦人画家は良人が画家である場合、画面に手を入れて貰うことを余りこだわって考えていないという話を聞いた。絵のことを云っている人が、婦人画家の芸術は相手によってひどく変るし、良人のいるとき・・・ 宮本百合子 「くちなし」
・・・その他後期の画面にも使われている。 ロシアでは有名な血の日曜日の行われた一九〇五年に、ケーテの描いた「鍬を牽く人」などの扱い方もシムボリックなところがあってどこかムンクを思わせる。そして、このケーテの内部に交流しているシムボリックな傾向・・・ 宮本百合子 「ケーテ・コルヴィッツの画業」
・・・この事は実際上、良人や子供の理解なしにはなりたたないから、好都合な事情で運べば、よい妻、いい母さん、そして手芸であれ、エッチングであれ何か一つの仕事をもった女主人として、描かれる一家団欒の画面は非常にこまやかで活溌な生気に溢れていることも想・・・ 宮本百合子 「現実の道」
・・・ たとえば、日本画においては、ある一つの色で広い画面をムラなく塗りつぶすということは、非常に技巧の要る事だそうである。しかも日本画家はこの困難な仕事に打ち克とうと努力している。洋画にとっては、ムラなく単色に塗られた広い画面のごときは、美・・・ 和辻哲郎 「院展遠望」
・・・その結果が何であるとしても、とにかく氏の描くところには感情がこもっている。画面の上に芸当として並べられた線や色彩ではなくして、氏の心に渦巻くものを画面にさらけ出そうとするための線や色彩である。そうしてそこには、確かに、我々の心の一角に触れる・・・ 和辻哲郎 「院展日本画所感」
出典:青空文庫