・・・ころが、その三原山行きの糧食としてN先生が青木堂で買って持って行ったバン・フーテンのココア、それからプチ・ポアの罐詰やコーンド・ビーフのことを思い出したので、やっとそれが明治四十二年すなわち自分の外国留学よりは以前のことであって帰朝後ではな・・・ 寺田寅彦 「詩と官能」
・・・ずっと後に先生が留学から帰って東京に住まわれるようになってから、ある時期の間は、ずいぶん頻繁に先生のお宅へ押しかけて行って先生のピアノの伴奏で自己流の演奏、しかもファースト・ポジションばかりの名曲弾奏を試みたのであったが、これには上記のよう・・・ 寺田寅彦 「田丸先生の追憶」
・・・昔ベルリン留学中かの地の地埋学教室に出入していたころ、一日P教授が「おもしろいものを見せてやろう」といって見せてくれたのは、シナの某地の地形図であった。やはり二十メートルごとぐらいの等高線を入れてあったが、それが一見してほとんどいいかげんな・・・ 寺田寅彦 「地図をながめて」
・・・ 先生の留学中に自分は病気になって一年休学し、郷里の海岸で遊んでいたので、退屈まかせに長たらしい手紙をかいてはロンドンの先生に送った。そうして先生からのたよりの来るのを楽しみにしていた。病気がよくなって再び上京し、まもなく妻をなくして本・・・ 寺田寅彦 「夏目漱石先生の追憶」
・・・ 次男が生まれて四十日目に西洋へ留学に出かけ、二年半の後に帰省したときのことである。船が桟橋へ着いたら家族や親類がおおぜい迎えに来ていた。姉が見知らぬ子供をおぶっているから、これはだれかと聞いたらみんなが笑いだした。それが紛れもない自分・・・ 寺田寅彦 「庭の追憶」
・・・それきりどうしても再び出ようとは言わなかったのを、私が留学から帰った時に無理にすすめて出る事にはなったが、それでもやはり学校は欠席がちであった。 そのころは私はもう青年ではなかった。空想から現実の世界へ踏み込んで、功名心にかられて懸命に・・・ 寺田寅彦 「亮の追憶」
・・・するのやむをえざるに至れり、彼二婆さんは余が黄色の深浅を測って彼ら一日のプログラムを定める、余は実に彼らにとって黄色な活動晴雨計であった、たまた※降参を申し込んで贏し得たるところ若干ぞと問えば、貴重な留学時間を浪費して下宿の飯を二人前食いし・・・ 夏目漱石 「自転車日記」
・・・然し留学中に段々文学がいやになった。西洋の詩などのあるものをよむと、全く感じない。それを無理に嬉しがるのは、何だかありもしない翅を生やして飛んでる人のような、金がないのにあるような顔して歩いて居る人のような気がしてならなかった。所へ池田菊苗・・・ 夏目漱石 「処女作追懐談」
・・・ 松山から熊本の高等学校の教師に転じて、そこでしばらくいて、後に文部省から英国へ留学を命ぜられて、行って帰って来て、今は大学と一高と明治大学との講師をやっている。なかなか忙しいんだよ。 落語か。落語はすきで、よく牛込の肴町の和良店へ・・・ 夏目漱石 「僕の昔」
・・・なるほど留学生の学資は御話しにならないくらい少ない。倫敦ではなおなお少ない。少ないがこの留学費全体を投じて衣食住の方へ廻せば我輩といえども最少しは楽な生活ができるのさ。それは国にいる時分の体面を保つ事は覚束ないが(国にいれば高等官一等から五・・・ 夏目漱石 「倫敦消息」
出典:青空文庫