・・・「三番目にあるのはトルストイです。この聖徒はだれよりも苦行をしました。それは元来貴族だったために好奇心の多い公衆に苦しみを見せることをきらったからです。この聖徒は事実上信ぜられない基督を信じようと努力しました。いや、信じているようにさえ・・・ 芥川竜之介 「河童」
・・・三行も読まないうちに「あなたの『地獄変』は……」と云う言葉は僕を苛立たせずには措かなかった。三番目に封を切った手紙は僕の甥から来たものだった。僕はやっと一息つき、家事上の問題などを読んで行った。けれどもそれさえ最後へ来ると、いきなり僕を打ち・・・ 芥川竜之介 「歯車」
・・・二番目も三番目も、生れように難易の差こそあれ、父と母とに与えた不思議な印象に変りはない。 こうして若い夫婦はつぎつぎにお前たち三人の親となった。 私はその頃心の中に色々な問題をあり余る程持っていた。そして始終齷齪しながら何一つ自分を・・・ 有島武郎 「小さき者へ」
・・・ 必要なのは――魚説法――に続く三番目に、一、茸、――鷺、玄庵――の曲である。 道の事はよくは知らない。しかし鷺の姿は、近ごろ狂言の流に影は映らぬと聞いている。古い隠居か。むかしものの物好で、稽古を積んだ巧者が居て、その人たち、言わ・・・ 泉鏡花 「木の子説法」
・・・あの児は、それ、墨の中に雪だから一番目に着く。……朝、一二時間ともちゃんと席に着いて授業を受けたんだ。――この硝子窓の並びの、運動場のやっぱり窓際に席があって、……もっとも二人並んだ内側の方だが。さっぱり気が着かずにいた。……成程、その席が・・・ 泉鏡花 「朱日記」
・・・その何番目かの娘のおらいというは神楽坂路考といわれた評判の美人であって、妙齢になって御殿奉公から下がると降るほどの縁談が申込まれた。淡島軽焼の笑名も美人の噂を聞いて申込んだ一人であった。 然るに六十何人の大家族を抱えた榎本は、表面は贅沢・・・ 内田魯庵 「淡島椿岳」
・・・かの不自由もなく安楽に世を渡って来たが、彼の父新助の代となるや、時勢の変遷に遭遇し、種々の業を営んだが、事ごとに志と違い、徐々に産を失うて、一男七子が相続いで生れたあとをうけ、慶応三年六月十七日、第九番目の末子として、彼川那子丹造が生れた頃・・・ 織田作之助 「勧善懲悪」
・・・そんなことから、女の口はほぐれて、自分がまだ出てそうそうだのに、先月はお花を何千本売って、この廓で四番目なのだと言った。またそれは一番から順に検番に張り出され、何番かまではお金が出る由言った。女の小ざっぱりしているのはそんな彼女におかあはん・・・ 梶井基次郎 「ある心の風景」
・・・友はまた京都にいた時代、電車の窓と窓がすれちがうとき「あちらの第何番目の窓にいる娘が今度自分の生活に交渉を持って来るのだ」とその番号を心のなかで極め、託宣を聴くような気持ですれちがうのを待っていた――そんなことをした時もあったとその日云って・・・ 梶井基次郎 「橡の花」
・・・ 亡くなった母を思い出すたびに、私は幼いときのその乳汁を目に落してくれた母が一番目の前に浮かぶのだ。なつかしい、温い、幾分動物的な感触のまじっている母の愛! 岩波書店主茂雄君のお母さんは信濃の田舎で田畑を耕し岩波君の学資を仕送りした・・・ 倉田百三 「女性の諸問題」
出典:青空文庫