・・・しかしそれは第三者と全然見ず知らずの間がらであるか、或は極く疎遠の間がらであるか、どちらかであることを条件としている。 又 わたしは第三者を愛する為に夫の目を偸んでいる女にはやはり恋愛を感じないことはない。しかし第三者を・・・ 芥川竜之介 「侏儒の言葉」
・・・鶺鴒も彼には疎遠ではない。あの小さい尻尾を振るのは彼を案内する信号である。「こっち! こっち! そっちじゃありませんよ。こっち! こっち!」 彼は鶺鴒の云うなり次第に、砂利を敷いた小径を歩いて行った。が、鶺鴒はどう思ったか、突然また・・・ 芥川竜之介 「保吉の手帳から」
・・・その頃から私とは段々疎遠となって余り往来しなくなったゆえ、その頃からの緑雨の晩年期については殆んど何にも知らない。 余り憚りなくいうと自然暗黒面を暴露するようになるが、緑雨は虚飾家といえば虚飾家だが黒斜子の紋附きを着て抱え俥を乗廻してい・・・ 内田魯庵 「斎藤緑雨」
・・・平生は年賀状以外にほとんど音信もしないくらいにお互いに疎遠でいた甥の事は、堅吉の頭にどうしても浮かばなかったのであった。 しかしこう事実がわかってみると、堅吉の頭は休まる代わりにかえってまた忙しくならなければならなかった。 第一には・・・ 寺田寅彦 「球根」
・・・ 母の存命中は時々手紙をよこしていたが、母の没後は自然と疎遠になっていたので今度の病気の事も知らないでいた。年とってからはいろいろの病気をもっていたそうであるから、たぶんはそのうちのどれかのために倒れたものであろう。 彼女はあらゆる・・・ 寺田寅彦 「備忘録」
・・・ 以上のような理由からして、自分と自分の宅のラジオとの交渉はかなり疎遠なものであった。それで時々故障が起っても、別に大した不便を感じないのであるが、それでもやはりその時々に修繕のために元買った百貨店へ持って行った。それが修繕する度に眼に・・・ 寺田寅彦 「ラジオ雑感」
・・・もっとも別に疎遠になったというわけではない、日曜や土曜もしくは平日でさえ気に向いた時はやって来て長く遊んでいった。元来が鷹揚なたちで、素直に男らしく打ちくつろいでいるようにみえるのが、持って生まれたこの人の得であった。それで自分も妻もはなは・・・ 夏目漱石 「手紙」
・・・全くの疎遠で今日まで打ち過ぎたのである。けれどもその当時は毎週五、六時間必ず先生の教場へ出て英語や歴史の授業を受けたばかりでなく、時々は私宅まで押し懸けて行って話を聞いた位親しかったのである。 先生はもと母国の大学で希臘語の教授をしてお・・・ 夏目漱石 「博士問題とマードック先生と余」
・・・したがお前の心を探って見ると、一旦は軽はずみに許したが男のいう言は一度位ではあてにならぬと少し引きしめたように見えたので、こちらも意地になり、女の旱はせぬといったような顔して、疎遠になるとなく疎遠になって居たのだが、今考えりゃおれが悪かった・・・ 正岡子規 「墓」
・・・ いくつかのこういう事情がたたまって、わたしは学校と疎遠になっていたのだった。それを別のひろい表現で云えば、旧い日本の上流中流の生活を支配していた常識の狭さや無智にされているままの偏見との間に、そんなに永年の摩擦があったのであった。・・・ 宮本百合子 「歳月」
出典:青空文庫