・・・実際今の世の中に、この珍々先生ほど芸者の好きな人、賤業婦の病的美に対して賞讃の声を惜しまない人は恐らくあるまい。彼は何故に賤業婦を愛するかという理由を自ら解釈して、道徳的及び芸術的の二条に分った。道徳的にはかつて『見果てぬ夢』という短篇小説・・・ 永井荷風 「妾宅」
・・・そうしてこの傾向は真の一字を偏重視するからして起った多少病的の現象だと云うてもよいだろうと思います。諸君は探偵と云うものを見て、歯するに足る人間とは思わんでしょう。探偵だって家へ帰れば妻もあり、子もあり、隣近所の付合は人並にしている。まるで・・・ 夏目漱石 「文芸の哲学的基礎」
・・・ 人は私の物語を冷笑して、詩人の病的な錯覚であり、愚にもつかない妄想の幻影だと言う。だが私は、たしかに猫ばかりの住んでる町、猫が人間の姿をして、街路に群集している町を見たのである。理窟や議論はどうにもあれ、宇宙の或る何所かで、私がそれを・・・ 萩原朔太郎 「猫町」
・・・青年時代に、僕をひどく苦しめた病的感覚や強迫観念が、年と共に次第に程度を弱めて来た。今では多人数の会へ出ても、不意に人の頭をなぐったり、毒づいたりしようとするところの、衝動的な強迫観念に悩まされることが稀れになった。したがって人との応接が楽・・・ 萩原朔太郎 「僕の孤独癖について」
・・・ロンドンに暮しパリを見、ベルリンの病的な印象などとソヴェト生活の現実とを生々しい対比で生きて、そのことから、人類が、幸福を求めて進んで来た歴史の前途に社会主義を確信するようになったのだった。一九二九年の十二月、ヨーロッパの諸国からソヴェトへ・・・ 宮本百合子 「あとがき(『宮本百合子選集』第九巻)」
・・・二十一歳になった作者が、めずらしく病的で陰惨な一人の男である主人公の一生を追究している。描写のほとんどない、ひた押しの書きぶりにも特徴がある。 ニューヨークのようなところに生活しているとき、若い作者がなぜその人として珍しいほど暗い題材を・・・ 宮本百合子 「あとがき(『宮本百合子選集』第二巻)」
・・・の習俗の中で男性というものが女性にとって、良人候補者、あるいは良人という狭い選択圏の中でばかりいきさつをもって来るものでなかったら、異性の間の友情について常に何かロマンティックな色どりを求めるいくらか病的な感傷性も、きっとずいぶん減っただろ・・・ 宮本百合子 「異性の友情」
・・・ 評判の美人で、男の気には大層入って居たけれ共、病的に「やきもち」のひどい姑が、二人で一部屋に居させないほどにして居た。 そうすると、先達ってうちから身重になったところが、それを種にして嫁を出してやろうと謀んで、自分の娘とぐるになっ・・・ 宮本百合子 「栄蔵の死」
・・・という言葉で言い現わしたのは、病的、変態的、頽廃的な印象である。伎楽面的な美を標準にして見れば、能面はまさにこのような印象を与えるのである。この点については自分は今でも異存がない。 しかし能面は伎楽面と様式を異にする。能面の美を明白に見・・・ 和辻哲郎 「能面の様式」
・・・の塹壕に身を沈めてこの煩を病的と呼ぶ。 人生問題はすべての歴史の根底に横たわる。星を数えつつ井戸に落ちた人、骨と皮とになるまで黙然として考えた人は史上の立て物ではない。しかしながら過去数千年の人類の経路は一日としてこの問題から離るるを許・・・ 和辻哲郎 「霊的本能主義」
出典:青空文庫