・・・百合の芽を傷めるからこっちへ来い。」 金三は顋をしゃくいながら、桑畑の畔へ飛び出した。良平もべそをかいたなり、やむを得ずそこへ出て行った。二人はたちまち取組み合いを始めた。顔を真赤にした金三は良平の胸ぐらを掴まえたまま、無茶苦茶に前後へ・・・ 芥川竜之介 「百合」
・・・野布袋という奴は元来重いんでございます、そいつを重くちゃいやだから、それで工夫をして、竹がまだ野に生きている中に少し切目なんか入れましたり、痛めたりしまして、十分に育たないように片っ方をそういうように痛める、右なら右、左なら左の片方をそうし・・・ 幸田露伴 「幻談」
・・・勝手な音を無茶苦茶に衝突させ合ったのではいたずらに耳を痛めるだけであろう。 バイオリンの音を出すのでも、弓と弦との摩擦という、言わば一つの争闘過程によって弦の振動が誘発されるとも考えられる。しかしそれは結局は弦の美しい音を出すための争闘・・・ 寺田寅彦 「「手首」の問題」
・・・その天鵝絨は物を中に詰めてふくらませてあって、その上には目を傷めるような強い色の糸で十文字が縫ってある。アラバステル石の時計がある。壁に塗り込んだ煖炉の上に燭台が載せてある。 ピエエル・オオビュルナンはこんな光景を再び目の前に浮ばせてみ・・・ 著:プレヴォーマルセル 訳:森鴎外 「田舎」
・・・しかしだんだん気候が寒くなって後にくうと、すぐに腹を傷めるので、前年も胃痙をやって懲り懲りした事がある。梨も同し事で冬の梨は旨いけれど、ひやりと腹に染み込むのがいやだ。しかしながら自分には殆ど嫌いじゃという菓物はない。バナナも旨い。パインア・・・ 正岡子規 「くだもの」
・・・「一人の人間の心をそんなに傷めるのは、何と云っても先生の不徳だと思います」 或る時、はる子はそのような話の後千鶴子に云った。「あなた本当にいい仕事をしたいとお思いんなるなら一つ暮し方を更える必要があるわね。自分がこうと思い込んだ・・・ 宮本百合子 「沈丁花」
・・・そう云う花壇に植え込まれる大部分の花、――雑種で、ジョウンジアとかスヌクシアとでも云いそうに仰々しい名前の――は私の眼を傷める。」〔一九二四年四月〕 宮本百合子 「素朴な庭」
・・・ 対等で、真面目に話し合わず、母は気位を以て亢奮し、Aは涙を出し、父が、誘われたようにして居られる光景は、充分私の心を痛めるものだ。 Aが「斯う云う風に思いかえして下されば、僕もどんなに嬉しいか分りません」と云ったに対し、母・・・ 宮本百合子 「二つの家を繋ぐ回想」
・・・嘘ほど人を痛めるものはないのじゃ。』 終日かれは自分の今度の災難一件を語った。かれは途ゆく人を呼び止めて話した、居酒屋へ行っては酒をのむ人にまで話した。次の日曜日、人々が会堂から出かける所を見ては話した。かれはこの一件を話すがために知ら・・・ 著:モーパッサン ギ・ド 訳:国木田独歩 「糸くず」
・・・も、いろいろの性質があるから、この時ただうるさいと思って、耳をおおいたく思う冷淡な同心があるかと思えば、またしみじみと人の哀れを身に引き受けて、役がらゆえ気色には見せぬながら、無言のうちにひそかに胸を痛める同心もあった。場合によって非常に悲・・・ 森鴎外 「高瀬舟」
出典:青空文庫