・・・「痛快だ。風の飛んで行く足跡が草の上に見える。あれを見たまえ」と圭さんが幾重となく起伏する青い草の海を指す。「痛快でもないぜ。帽子が飛んじまった」「帽子が飛んだ? いいじゃないか帽子が飛んだって。取ってくるさ。取って来てやろうか・・・ 夏目漱石 「二百十日」
・・・彼等の中で、比較的忠実に読んだ人さへが、単なる英雄主義者として、反キリストや反道徳の痛快なヒーローとして、単純な感激性で崇拝して居たこと、あたかも大正期の文壇でトルストイやドストイェフスキイやを、単なる救世軍の大将として、白樺派の人々が崇拝・・・ 萩原朔太郎 「ニイチェに就いての雑感」
・・・その結果は、彼等は、「誰か痛快におっ初めたものだな!」と云う事を知った。彼等は志気を振い起した。 残っていた連中も、虱つぶしに引っ張られた。本田家の邸内を護衛していた、小作人組合に入っていない、青年団の青年たちや、消防組員までも、一応は・・・ 葉山嘉樹 「乳色の靄」
・・・ ――しっかりやろうぜ。 ――痛快だね。 なんて言って眼と顔を見合せます。相手は眼より外のところは見えません。眼も一つだけです。 命がけの時に、痛快だなんてのは、まったく沙汰の限りです。常識を外れちゃいけない。ところが、・・・ 葉山嘉樹 「牢獄の半日」
・・・「鹿の黄いろな横っ腹なんぞに、二三発お見舞もうしたら、ずいぶん痛快だろうねえ。くるくるまわって、それからどたっと倒れるだろうねえ。」 それはだいぶの山奥でした。案内してきた専門の鉄砲打ちも、ちょっとまごついて、どこかへ行ってしまった・・・ 宮沢賢治 「注文の多い料理店」
・・・それから一番痛快なのはまっすぐに行ってそのまままっすぐに戻る位ひどくカーブを切って廻るときだ。まるで身体が壊れそうになってミシミシ云うんだ。光の骨までカチカチ云うぜ。」 ポウセ童子が云いました。「チュンセさん。行きましょうか。王様が・・・ 宮沢賢治 「双子の星」
・・・が、こわいような、自分の身体がどこで止るか、止るまで分らず転がり落ちる夢中な感じは、何と痛快だろう! 転がれ! 転がれ! わがからだ!「さあ、こんどは一列横隊だ。いい? 一、二、三!」 砂を飛ばしてころがるとき、陽子の胸を若々しい歓・・・ 宮本百合子 「明るい海浜」
・・・私はきっと梢の見えるところまで出かけ、空を眺め、風に吹かれ、痛快なおどろきとこわさを一心に吸い込もうとする。今日も、椽側の硝子をすかし、眼を細くして外界の荒れを見物しているうちに、ふと、子供の時のことを思い出した。 ・・・ 宮本百合子 「雨と子供」
・・・ 秋三はお霜の来た用事を悟ると痛快な気持が胸に拡った。彼はにやにやしながら云った。「にじりつけるか。勘が引受けよったのやないか。勘に訊いてみい、勘に。」「連れて来んもの、誰が引受けるぞ。」「そりゃお前、お前とこが株内やで俺が・・・ 横光利一 「南北」
・・・ 痛快な夢 私は喧嘩をした。負けた。蹴り落された。どこへともなく素張らしい勢いで落ち込んで行く。ハッと思うと、私の身体はまん円い物の上へどしゃりッと落ったのだ。はてな―ふわふわする。何ァんだ。他愛もない地球であった。私・・・ 横光利一 「夢もろもろ」
出典:青空文庫