・・・ 現在民主的な新しい文学を念願して、そのために生活的にも文学的にも努力している人々の間に、いくつもの同人雑誌が発刊されている。最近出ているこれらの同人雑誌には共通な一つの特色が見られる。それは、これらの同人雑誌は、一九二五、六年ごろ川端・・・ 宮本百合子 「しかし昔にはかえらない」
・・・ いずれも当時の進歩的学者であったし、年輩も既に四十歳を越した人々がそれだけ心を合わせて兎に角一つの啓蒙雑誌を発刊したところ、何とも云えぬ明治というものの若々しい力が感じられて、非常に面白い。同時にこの有力な執筆者をもった同人雑誌が、僅・・・ 宮本百合子 「繻珍のズボン」
・・・ ヨーロッパ大戦後の、万人の福利を希うデモクラシーの思想につれて、民衆の芸術を求める機運が起って『種蒔く人』が日本文学の歴史の上に一つの黎明を告げながら発刊されたのは大正十一年であった。ロマンティックな傾向に立って文学的歩み出しをしてい・・・ 宮本百合子 「昭和の十四年間」
・・・が発刊された頃には婦人の社会的な問題の土台に生産の諸関係を見、婦人の間に社会層の分裂が生じる必然の推移までを見て、平塚雷鳥が主観の枠内で女性の精神的自己解放をとなえていた到達点を凌駕した。彼女は明治三十四年に女子の工芸学校を創立したりして、・・・ 宮本百合子 「女性の歴史の七十四年」
内外の複雑な関係によってプロレタリア作家が組織を解体してから、ほぼ一ヵ年が経過した。その困難な期間に発刊されたさまざまの文化・文学雑誌は、編輯同人のグループはそれぞれに別個だし、編輯方針の細部でもそれぞれのある独自性を発揮・・・ 宮本百合子 「新年号の『文学評論』その他」
・・・ この気運の具体化された一例は、昨年末から今年の初めにかけて『文芸』の発刊その他無数の文芸同人雑誌が刊行されるようになったことにも現れていると思う。 さて、文芸復興の声はこのようにしてブルジョア文学の全野に鳴りわたったが、矢つぎ早に・・・ 宮本百合子 「一九三四年度におけるブルジョア文学の動向」
三月六日の日曜日に『働く婦人』発刊記念の夕べを催したことは、読者のみなさんが三月号の『働く婦人』にのった広告によっても承知していられることです。『働く婦人』は、日本プロレタリア文化連盟から発行される日本でたった一つのわ・・・ 宮本百合子 「日本プロレタリア文化連盟『働く婦人』を守れ!」
・・・が協議会を持ち、婦人協議会の責任者となった。日本プロレタリア文化連盟からは、参加団体それぞれの機関紙の他に、「プロレタリア文化」が発刊された。この月党の組織と結合した。十一月。婦人協議会から勤労婦人のための雑誌刊行が計画された。勤労階級・・・ 宮本百合子 「年譜」
・・・のフランス文学篇では、私共は正確なバルザックの略歴さえ知ることが出来ないし、更に昨今の流行とてらし合せて私達の感想を更に一層刺戟するのは、一九三〇年、プロレタリア芸術運動が高まって綜合雑誌『ナップ』が発刊されていた頃、山田清三郎・川口浩両氏・・・ 宮本百合子 「バルザックに対する評価」
・・・その作文は、療養所の発刊している『南風』にのって、療養所の人たちに愛読されていた。 松山くにが十八歳になったとき、彼女は結核性脳炎にかかって、数日のわずらいで亡くなった。 彼女には、「あの包み」といって大事にしている一つの包みがあっ・・・ 宮本百合子 「病菌とたたかう人々」
出典:青空文庫