・・・に読んだ人さへが、単なる英雄主義者として、反キリストや反道徳の痛快なヒーローとして、単純な感激性で崇拝して居たこと、あたかも大正期の文壇でトルストイやドストイェフスキイやを、単なる救世軍の大将として、白樺派の人々が崇拝して居たに同じである。・・・ 萩原朔太郎 「ニイチェに就いての雑感」
・・・津軽海峡、トラピスト、函館、五稜郭、えぞ富士、白樺、小樽、札幌の大学、麦酒会社、博物館、デンマーク人の農場、苫小牧、白老のアイヌ部落、室蘭、ああ僕は数えただけで胸が踊る。五時間目には菊池先生がうちへ宛てた手紙を渡して、またいろいろ話され・・・ 宮沢賢治 「或る農学生の日誌」
・・・ そのときはもう、銅づくりのお日さまが、南の山裾の群青いろをしたとこに落ちて、野はらはへんにさびしくなり、白樺の幹などもなにか粉を噴いているようでした。 いきなり、向うの柏ばやしの方から、まるで調子はずれの途方もない変な声で、「・・・ 宮沢賢治 「かしわばやしの夜」
・・・すぐ下にはお苗代や御釜火口湖がまっ蒼に光って白樺の林の中に見えるんだ。面白かったねい。みんなぐんぐんぐんぐん走っているんだ。すると頂上までの処にも一つ坂があるだろう。あすこをのぼるとき又さっきの年老りがね、前の若い人のシャツを引っぱったんだ・・・ 宮沢賢治 「風野又三郎」
楢渡のとこの崖はまっ赤でした。 それにひどく深くて急でしたからのぞいて見ると全くくるくるするのでした。 谷底には水もなんにもなくてただ青い梢と白樺などの幹が短く見えるだけでした。 向う側もやっぱりこっち側と同じ・・・ 宮沢賢治 「谷」
・・・ながねの下で、白樺の皮、剥いで来よ。」うちのなかから、ホロタイタネリのお母さんが云いました。 タネリは、そのときはもう、子鹿のように走りはじめていましたので、返事する間もありませんでした。 枯れた草は、黄いろにあかるくひろがって、ど・・・ 宮沢賢治 「タネリはたしかにいちにち噛んでいたようだった」
「愛と死」が、読むものの心にあたたかく自然に触れてゆくところをもった作品であることはよくわかる。武者小路実篤氏の独特な文体は、『白樺』へ作品がのりはじめた頃から既に三十年来読者にとって馴染ふかいものであり、しかもこの頃は、一・・・ 宮本百合子 「「愛と死」」
・・・ 小さい駅。白樺。黄色く塗った木造ステーション。チェホフ的だ。赤い帽子をかぶった駅長が一人ぼっち出て来て、郵便車から雪の上へ投げた小包を拾い上げた。その小包には切手が沢山はってあった。 十月二十九日。 昨夜スウェルドロフスキ・・・ 宮本百合子 「新しきシベリアを横切る」
・・・ 当時、日本の文学は、白樺派の人道主義文学の動きがあり、他方に、自然主義が衰退したあとの反射としておこった新ロマンティシズムの文学があった。谷崎潤一郎の「刺青」などを先頭として。同時に『新思潮』という文学雑誌を中心に芥川龍之介が「鼻」「・・・ 宮本百合子 「あとがき(『宮本百合子選集』第一巻)」
・・・という題で『白樺』に二年にわたって発表されたらしい。私共がそれを読んだのはそれから足かけ七年後、作者が題を「或る女」と変えて著作集の一部として発表した頃であった。一九一七年、一九年に出たから作者は既に四十二歳になっていた訳であろう。 今・・・ 宮本百合子 「「或る女」についてのノート」
出典:青空文庫