・・・「おい。百合ちゃん。百合ちゃん。生をもう二つ」 話し手の方の青年は馴染のウエイトレスをぶっきら棒な客から救ってやるというような表情で、彼女の方を振り返った。そしてすぐ、「いや、ところがね、僕が窓を見る趣味にはあまり人に言えない欲・・・ 梶井基次郎 「ある崖上の感情」
・・・ やがて、レコードのレッテルの色で、メルバの独唱だのアンビル・コーラスだのいろいろ見分けがつくようになり、しまいには夕飯のあとでなど「百合ちゃん、チクオンキやる」と立って変な鼻声で、しかも実に調子をそっくり「マイマイユーメ、テンヒンホー・・・ 宮本百合子 「きのうときょう」
・・・ドアが開くと同時に白い萎んだ顔を入ってゆく自分に向け、歩くから、椅子にかけるまで眼もはなさず追って、しかし、椅子にかけている体は崩さず、「……どうしたえ、百合ちゃん……本当にまァ……」 主任は、爪先で歩くようにして室の角にかけ、此方・・・ 宮本百合子 「刻々」
・・・「何だ健坊よわむしだね、百合ちゃんはこわくないよ、ホラ、何でもないじゃないか!」そういう工合。帰って、その晩はストーヴの前でいろいろ夜ふけまで二人の話せるあらゆる話題について話し、少しくたびれると、いねちゃんがタバコをのみながら詩集『月下の・・・ 宮本百合子 「獄中への手紙」
・・・女は、白い浴衣を着、手に団扇をもって、何とか彼とか男に云ってるところまで書いたら、不意に母親がやって来て、「百合ちゃん、お前がこれ書いたの?」 しようがない。うん、と云ったら、母親はちょっとよんでみた。「まあ、何だろう!」それっ・・・ 宮本百合子 「「処女作」より前の処女作」
・・・母が泣くこともあった。百合ちゃんはお父様とどこへでも行って暮したらいいだろうと云うようなこともある。だが、それらは今思えばどれも熾な生活力に充ちた親たちの性格があげた波の飛沫で、私はそのしぶきをずっぷりと浴びつつ、自分も、あの波この波をその・・・ 宮本百合子 「青春」
・・・ 先日、私が林町に行った時、母が突然「百合ちゃんもタイトルでもとるといいね。」と云われた。 自分は寧ろ驚き、同時にひどく不快を感じて「何故? 学者と芸術家とは異うことよ。芸術家は学者以上と云えてよ一方から見ると。学者には学ん・・・ 宮本百合子 「一九二三年冬」
・・・ 私は一寸振返ったけれ共知らない人だったので黙って居ると、屏風の中に入って何かして居た其の人はやがて片身を外へ出して、「百合ちゃん一寸おいで、 好いものを見せてあげ様。と手招きをした。 私は何の気なしに、・・・ 宮本百合子 「追憶」
・・・「サ、百合ちゃんおぼえておいでかい、もう忘れてしまったんだろうけれど、この方が御まきさん、あなたは――御仙さんて御っしゃいましたっけか?」 娘さんにきくと合点をしたんで、「ほんとうにうちのは御てんで困るんですよ、何も出来ないくせ・・・ 宮本百合子 「つぼみ」
・・・「其は荒木さんに都合がよいことだろうさ、けれども、始め、グランパは何と云った、自分は何も無く、何も出来ないものだけれども、全力を捧げて百合ちゃんの仕事を完成させる為に尽す、と云って寄来したじゃあないか、ちゃんと手紙も取ってある。「手・・・ 宮本百合子 「日記・書簡」
出典:青空文庫