・・・ 弱い体は其頃でも丈夫にならなかったものと見えて、丁度「いろは」を卒える頃からででもあったろうか、何でも大層眼を患って、光を見るとまぶしくてならぬため毎日々々戸棚の中へ入って突伏して泣いて居たことを覚えて居る。いろいろ療治をした後、根岸・・・ 幸田露伴 「少年時代」
・・・「うまい乳を一杯のませて、ウンと丈夫に育てゝくれ!……はゝゝゝゝ、首を切られたんじゃうまい乳も出ないか。」 お君は刑務所からの帰りに、何度も何度も考えた――うまい乳が出なかったら、よろしい! 彼奴等に対する「憎悪」でこの赤ん坊を育て・・・ 小林多喜二 「父帰る」
・・・僕から云うのも変だが、何よりまア身体を丈夫にしてい給え。」 ずんぐりした方が一寸テレて、帽子の縁に手をやった。 ごじゃ/\と書類の積まさった沢山の机を越して、窓際近くで、顎のしゃくれた眼のひッこんだ美しい女の事務員が、タイプライター・・・ 小林多喜二 「独房」
・・・ と、私に言ってみせるのは、肥って丈夫そうなお霜婆さんだ。私の郷里では、このお霜婆さんの話すように、女でも「おら」だ。「どうだなし、こんないい家ができたら、お前さまもうれしからず。」 と、今度はお菊婆さんが言い出した。無口なお霜・・・ 島崎藤村 「嵐」
・・・もうもう大丈夫だ。ゆうべは俺もよく寝られたし、御霊さまは皆を守っていて下さるし、今朝は近頃にない気分が清々とした」 おげんは自分を笑うようにして、両手を膝の上に置きながらホッと一つ息を吐いた。おげんの話にはよく「御霊さま」が出た。これは・・・ 島崎藤村 「ある女の生涯」
・・・ ウイリイは丈夫に大きくなりました。それに大へんすなおな子で、ちっとも手がかかりませんでした。 ふた親は乞食のじいさんがおいていった鍵を、一こう大事にしないで、そこいらへ、ほうり出しておきました。それをウイリイが玩具にして、しまいに・・・ 鈴木三重吉 「黄金鳥」
・・・嘉七は、それを聞いていながら、恥ずかしいほどであった。丈夫なやつだ。「おい、かず枝。しっかりしろ。生きちゃった。ふたりとも、生きちゃった。」苦笑しながら、かず枝の肩をゆすぶった。 かず枝は、安楽そうに眠りこけていた。深夜の山の杉の木・・・ 太宰治 「姥捨」
・・・とにかくその一と夏の湯治で目立って身体が丈夫になったので両親はひどく喜んだそうである。 自分にはそんなに海を怖がったというような記憶は少しも残っていない。しかし実際非常に怖い思いをしたので、そのときに眼底に宿った海岸と海水浴場の光景がそ・・・ 寺田寅彦 「海水浴」
・・・せんで竹の皮をむき、ふしの外のでっぱりをけずり、内側のかたい厚みをけずり、それから穴をあけて、柄をつけると、ぶかっこうながら丈夫な、南九州の農家などでよくつかっている竹びしゃくが出来あがる。朝めし前からかかって、日に四十本をつくるのだが、こ・・・ 徳永直 「白い道」
・・・眼の細い、身丈の低くからぬ、丈夫そうな爺さんであった。浅草という土地がら、大道具という職業がらには似もつかず、物事が手荒でなく、口のききようも至極穏かであったので、舞台の仕事がすんで、黒い仕事着を渋い好みの着物に着かえ、夏は鼠色の半コート、・・・ 永井荷風 「草紅葉」
出典:青空文庫