・・・それでも合戦と云う日には、南無阿弥陀仏と大文字に書いた紙の羽織を素肌に纏い、枝つきの竹を差し物に代え、右手に三尺五寸の太刀を抜き、左手に赤紙の扇を開き、『人の若衆を盗むよりしては首を取らりょと覚悟した』と、大声に歌をうたいながら、織田殿の身・・・ 芥川竜之介 「おしの」
・・・うむ、耳を蔽うて鐸を盗むというのじゃ。いずれ音の立ち、声の響くのは覚悟じゃろう。何もかも隠さずに言ってしまえ。いつの事か。一体、いつ頃の事か。これ。侍女 いつ頃とおっしゃって、あの、影法師の事でございましょうか。それは唯今……紳士 ・・・ 泉鏡花 「紅玉」
・・・早くいってしまえ、人が見ていなかったら盗むつもりだろう。」とどなりました。 子供は腹だたしさに、顔の色を赤くして、しおしおとしてその店の前を立ち去ってしまいました。 ある日二人は町の人々から追われて、港の端のところにやってきまし・・・ 小川未明 「黒い旗物語」
・・・「先生、どんな場合にでも、ものを盗むということは悪いことですか。」「ものを盗むということは、いちばん悪いことです。」と、先生は目を丸くしていいました。「先生、もしたいせつなものを盗まれたときはどうします。」と、おみよは聞きました・・・ 小川未明 「なくなった人形」
・・・彼が盗むということは彼の人格がそうしないわけにはいかないのであり、リップスがいうように、そのような人格故に卑しむべしと評価することはもとより可能であり、その評価はたしかに人格価値の評価ではあるが、それは盗む鼠に対するのと同じ評価であり、彼に・・・ 倉田百三 「学生と教養」
・・・そうしておいて自分の命を少しでも長く盗むために、あらゆる人を疑りました。そのためには多くの人をどんどん殺したり押しこめたりしました。ですから彼はピシアスとデイモンとの二人のこの信実と友愛とを見ると、本当に何よりもうらやましくて堪りませんでし・・・ 鈴木三重吉 「デイモンとピシアス」
・・・人を殺すもよし、ものを盗むもよし、ただ少しおおがかりな犯罪ほどよいのですよ。大丈夫。見つかるものか。時効のかかったころ、堂々と名乗り出るのさ。あなた、もてますよ。けれどもこれは、飛行機の三日間にくらべると、十年間くらいの我慢だから、あなたが・・・ 太宰治 「彼は昔の彼ならず」
・・・私はそれを盗むのである。私は既に三度、盗みを繰り返し、ことしの夏で四度目である。 ここまでの文章には私はゆるがぬ自負を持つ。困ったのは、ここからの私の姿勢である。 私はこの玩具という題目の小説に於いて、姿勢の完璧を示そうか、情念の模・・・ 太宰治 「玩具」
・・・女給たちは、私が金銭のために盗むのでなく、予言者らしい突飛な冗談と見てとって、かえって喝采を送るだろう。この百姓もまた、酔いどれの悪ふざけとして苦笑をもらすくらいのところであろう。盗め! 私は手をのばし、隣りのテエブルのそのウイスキイのコッ・・・ 太宰治 「逆行」
・・・「ペーパーナイフを盗むなんて、へんなやつだ。でも、綺麗だと思ったのなら仕様が無い。」 女の子は声を立てずに慟哭をはじめた。美濃は少し愉快になる。よい朝だと思った。「母上がよくない。ろくに読めもしない洋書なんかを買い込んで、ただペ・・・ 太宰治 「古典風」
出典:青空文庫