・・・そこで仕方がございませんから、まず一休み休むつもりで、糸の中途にぶら下りながら、遥かに目の下を見下しました。 すると、一生懸命にのぼった甲斐があって、さっきまで自分がいた血の池は、今ではもう暗の底にいつの間にかかくれて居ります。それから・・・ 芥川竜之介 「蜘蛛の糸」
・・・すると薄汚い支那人が一人、提籃か何かをぶら下げたなり、突然僕の目の下からひらりと桟橋へ飛び移った。それは実際人間よりも、蝗に近い早業だった。が、あっと思ううちに今度は天秤捧を横たえたのが見事に又水を跳り越えた。続いて二人、五人、八人、――見・・・ 芥川竜之介 「湖南の扇」
・・・しかし犬は目の下に温泉宿の屋根が見えると、一声嬉しそうに吠えたきり、もう一度もと来た熊笹の中へ姿を隠してしまったと云う。一行は皆この犬が来たのは神明の加護だと信じている。 時事新報。十三日名古屋市の大火は焼死者十余名に及んだが、横関名古・・・ 芥川竜之介 「白」
・・・そのほか、日傘をかざすもの、平張を空に張り渡すもの、あるいはまた仰々しく桟敷を路に連ねるもの――まるで目の下の池のまわりは時ならない加茂の祭でも渡りそうな景色でございます。これを見た恵印法師はまさかあの建札を立てたばかりで、これほどの大騒ぎ・・・ 芥川竜之介 「竜」
・・・ 浪打際といったって、一畝り乗って見ねえな、のたりと天上まで高くなって、嶽の堂は目の下だ。大風呂敷の山じゃねえが、一波越すと、谷底よ。浜も日本も見えやしねえで、お星様が映りそうで、お太陽様は真蒼だ。姉さん、凪の可い日でそうなんだぜ。・・・ 泉鏡花 「海異記」
・・・ 天地震動、瓦落ち、石崩れ、壁落つる、血煙の裡に、一樹が我に返った時は、もう屋根の中へ屋根がめり込んだ、目の下に、その物干が挫げた三徳のごとくになって――あの辺も火は疾かった――燃え上っていたそうである。 これ――十二年九月一日・・・ 泉鏡花 「木の子説法」
・・・後へ後へと群り続いて、裏山の峰へ尾を曳いて、遥かに高い処から、赤い滝を落し懸けたのが、岩に潜ってまた流れる、その末の開いた処が、目の下に見える数よ。最も遠くの方は中絶えして、一ツ二ツずつ続いたんだが、限りが知れん、幾百居るか。 で、何の・・・ 泉鏡花 「朱日記」
・・・ 熊笹のびて、薄の穂、影さすばかり生いたれば、ここに人ありと知らざる状にて、道を折れ、坂にかかり、松の葉のこぼるるあたり、目の下近く過りゆく。女はその後を追いたりしを、忍びやかにぞ見たりける。駕籠のなかにものこそありけれ。設の蒲団敷重ね・・・ 泉鏡花 「清心庵」
・・・――奥路に名高い、例の須賀川の牡丹園の花の香が風に伝わるせいかも知れない、汽車から視める、目の下に近い、門、背戸、垣根。遠くは山裾にかくれてた茅屋にも、咲昇る葵を凌いで牡丹を高く見たのであった。が、こんなに心易い処に咲いたのには逢わなかった・・・ 泉鏡花 「燈明之巻」
・・・――がさがさと遣っていると、目の下の枝折戸から――こんな処に出入口があったかと思う――葎戸の扉を明けて、円々と肥った、でっぷり漢が仰向いて出た。きびらの洗いざらし、漆紋の兀げたのを被たが、肥って大いから、手足も腹もぬっと露出て、ちゃんちゃん・・・ 泉鏡花 「二、三羽――十二、三羽」
出典:青空文庫