・・・が、蔵前の煙突も、十二階も、睫毛に一眸の北の方、目の下、一雪崩に崕になって、崕下の、ごみごみした屋根を隔てて、日南の煎餅屋の小さな店が、油障子も覗かれる。 ト斜に、がッくりと窪んで暗い、崕と石垣の間の、遠く明神の裏の石段に続くのが、大蜈・・・ 泉鏡花 「売色鴨南蛮」
・・・浴衣の上だけれど、紋の着いた薄羽織を引かけていたが、さて、「改めて御祝儀を申述べます。目の下二尺三貫目は掛りましょう。」とて、……及び腰に覗いて魂消ている若衆に目配せで頷せて、「かような大魚、しかも出世魚と申す鯉魚の、お船へ飛込みましたとい・・・ 泉鏡花 「伯爵の釵」
・・・その白銀を磨いた布目ばかりの浪もない。目の下の汀なる枯蘆に、縦横に霜を置いたのが、天心の月に咲いた青い珊瑚珠のように見えて、その中から、瑪瑙の桟に似て、長く水面を遥に渡るのは別館の長廊下で、棟に欄干を繞した月の色と、露の光をうけるための台の・・・ 泉鏡花 「鷭狩」
・・・ 夜が明けると、はるか目の下の波間に、赤い船が、暴風のために、くつがえっているのを見ました。それは、王さまのお迎えに出された赤い船です。つばめは、急いで帰って、このことを王さまに申し上げました。――王さまは、ここにはじめて、自らの力をた・・・ 小川未明 「赤い船とつばめ」
・・・ ある村に一人のおじいさんがありました。目の下に小さな黒子があって、まるまるとよくふとっていました。歩くときは、ちょうど豚の歩くようによちよちと歩きました。 おじいさんは、かつて怒ったことがなく、いつもにこにこと笑って、太い煙管で煙・・・ 小川未明 「犬と人と花」
・・・また舞子に来ても、所謂、瀬戸内海の晴れた海を見ることが出来ないのをよく/\運のないことゝ思った。目の下を男と女と二人並で散歩している。二人は海を見て立止った。潮風が二人の袂と裾を飜している。流石に、避暑地に来たらしい感もした。 夕飯の時・・・ 小川未明 「舞子より須磨へ」
・・・そして目の下に見える低い地面を見下した。そこには軌道が二筋ずつ四つか五つか並べて敷いてある。丁度そこへ町の方からがたがたどうどうと音をさせて列車が這入って来る処である。また岸の処には鉄の鎖に繋がれて大きな鉄の船が掛かっている。この船は自分の・・・ 著:シュミットボンウィルヘルム 訳:森鴎外 「鴉」
・・・の二階の窓から見おろすと、橋のたもとがすぐ目の下にあった。そこに乞食が一人、いつ見ても同じ所で陽春の日光に浴しながらしらみをとっていた。言葉どおりにぼろぼろの着物をきて、頬かぶりをした手ぬぐいの穴から一束の蓬髪が飛び出していたように思う。・・・ 寺田寅彦 「蒸発皿」
・・・国土にノスタルジックな南方的情趣を帯びさせる夜、自分は公園の裏手なる池のほとりから、深い樹木に蔽われた丘の上に攀じ登って、二代将軍の墳墓に近い朱塗の橋を渡り、その辺の小高い処から、木の根に腰をかけて、目の下一面に、二代将軍の霊廟全体を見下し・・・ 永井荷風 「霊廟」
・・・Rue de la Faisanderie の大道は広々と目の下に見えていて、人通りは少い。ロンドンの上流社会の住んでいる市区によくこんな立派な、幅の広い町があるが、ここの通りはそれに似ている。 ピエエル・オオビュルナンは良久しく物を案・・・ 著:プレヴォーマルセル 訳:森鴎外 「田舎」
出典:青空文庫