・・・という恐怖が目覚めて、大いそぎで涙を拭く彼女は、激情の緩和された後の疲れた平穏さと、まだ何処にか遺っている苦しくない程度の憂鬱に浸って、優雅な蒼白い光りに包まれながら、無限の韻律に顫える万物の神秘に、過ぎ去った夢の影を追うのであった。・・・ 宮本百合子 「地は饒なり」
・・・ まあ御目覚めなさいましたねえ。と大きな声で云って女中が入って来た頃千世子は髪を解いて梳って居た。「お客様がおすみになるとすぐおよったんでございますねえ。「あああんまり話したんでね、 すっかり疲れたんだよ。・・・ 宮本百合子 「千世子(三)」
・・・が目覚めはじめてきていた証拠である。教会と父権とが彼女たちに与えた現世の主である夫に対して、彼女たちは厳しくしつけられていた通りに貞潔の誓を立てながらも、もう唯の雌ではなく人間の女性となってペトラルカの詩も歌うようになっている。彼女たちは自・・・ 宮本百合子 「人間の結婚」
・・・ 四辺の万物は体の薄黒色から次第次第に各々の色を取りもどして来、山の端があかるみ、人家の間から鶏共が勢よく「時」を作る。 向うの向うの山彦が、かすかに「コケコッコ――ッ」と応える。 目覚め、力づけられて活き出そうとする天地の中に・・・ 宮本百合子 「一条の繩」
・・・まだ深く封建的な眠りがのこっていて、しかし半分目覚めている気持がヨーロッパのロマンティシズムと大変うまく結合して、美しい「たけくらべ」という小説ができました。この作品をたとえば、昨夜の露が葉末についていて、太陽が輝き初めるとそれが非常に美し・・・ 宮本百合子 「婦人の創造力」
・・・自分で知らずに、鋭い心の目覚めを遅らされた。この興味ある一例は一八八一年三月一日に、農奴解放を行って後全く反動化したアレキサンドル二世が「人民の意志」党員グリニェヴィツキーのテロルに殪れた時の記憶の描写に現れている。「人々の中」でゴーリキイ・・・ 宮本百合子 「マクシム・ゴーリキイの伝記」
・・・ 熱に浮かされるような恐ろしい生活の中で小さいゴーリキイの心は自分や他人の受ける侮蔑、苦痛に対して鋭く痛み、人間の生活についての観察を学び、一生を通じて彼の特質をなした真理を求める熱情が既に目覚め始めたのである。 この時代、ゴーリキ・・・ 宮本百合子 「マクシム・ゴーリキイの人及び芸術」
・・・ヴェデキントは作家としての特質から、少年少女の性の目覚めの悩乱を、今日の感覚からみると極端まで中核におきすぎて、その点で登場する若い人物たちは動物的に性的な一面へ歪められすぎた暗い姿を現している。けれども、中学校の教育というものが、若い肉体・・・ 宮本百合子 「若き精神の成長を描く文学」
・・・人間としてのさまざまの重い経験、苦痛と疑問とは、総ての家庭、総ての婦人、男子の心に等しく目覚めていたのであるけれども、それは、決して決して、言葉の上にも、行動の上にも、まして文字の上に、正直に表現されるということはなかった。日本の人民はそれ・・・ 宮本百合子 「私たちの建設」
・・・私は急に目覚めた心持ちであたりを見回した。私の斜めうしろには暗い枝の間から五日ばかりの月が幽かにしかし鋭く光っている。私の頭の上にはオライオン星座が、讃歌を唱う天使の群れのようににぎやかに快活にまたたいている。人間を思わせる燈火、物音、その・・・ 和辻哲郎 「創作の心理について」
出典:青空文庫