・・・告の鼻、検事の髯、押丁等の服装、傍聴席の光線の工合などが、目を遮り、胸を蔽うて、年少判事はこの大なる責任のために、手も自由ならず、足の運びも重いばかり、光った靴の爪尖と、杖の端の輝く銀とを心すともなく直視めながら、一歩進み二歩行く内、にわか・・・ 泉鏡花 「政談十二社」
・・・死ちょう冷刻なる事実を直視することは出来なかった。即ち恋ほど人心を支配するものはない、その恋よりも更に幾倍の力を人心の上に加うるものがあることが知られます。「曰く習慣の力です。Our birth is but asleep an・・・ 国木田独歩 「牛肉と馬鈴薯」
・・・倫理に於いても、新しい形の個人主義の擡頭しているこの現実を直視し、肯定するところにわれらの生き方があるかも知れぬと思案することも必要かと思われる。 太宰治 「新しい形の個人主義」
・・・私が永いことそのからだを直視していても、平気である。老夫婦が、たからものにでも触るようにして、背中を撫でたり、肩をとんとん叩いてやったりする。この少女は、どうやら病後のものらしい。けれども、決して痩せてはいない。清潔に皮膚が張り切っていて、・・・ 太宰治 「美少女」
・・・そうかと言ってこのような重大な現象を無感覚に観過させないまでもそれを直視させるのをしいて避けるのもどんなものであろうか。 ねずみを縛り殺していた時の私の顔がよほど平生とちがった顔になっていたという事をあとで聞かされて少し意外な気がした。・・・ 寺田寅彦 「ねずみと猫」
・・・たださすがに女であるだけに自分自身の内部を直視する事はできなかったらしい。 ある時ある高い階級の婦人が衆人環視の中で人力車を降りる一瞬時の観察から、その人の皮膚のある特徴を発見してそれを人に話したので、実に恐ろしい女だと言ってそれが一つ・・・ 寺田寅彦 「備忘録」
・・・神にすべてをまかせて、安心して、自己の真を打ち出して、運命を直視し、苦しみ悲しみながら進もう。そしてシンプルな、落ち着いた、セザンヌの絵のような境地に達しよう。」またこんな事もある。「トルストイは人生の帰趣を決めてしまおうとした。そこに不自・・・ 寺田寅彦 「亮の追憶」
・・・創作方法の問題とその可能性についても同じように現実的な角度からしっかりと直視されていいと思う。私は私にとって一番そのプラス・マイナスについて遠慮なく語れる自分の四年間の文学実験について、そこにあらわれた問題を内と外との関係から見て行こうとす・・・ 宮本百合子 「心に疼く欲求がある」
・・・わたしたちが読者であるばかりでなく、作家でもあるということは、ただそのような現代文学を軽蔑してすむことではなく、そのような文学を発生させている日本の社会の状況そのものを改めて直視して、その追求の過程で、こんにちに実在しているより真実で強固な・・・ 宮本百合子 「「下じき」の問題」
・・・、日々を現実がそのようなものとしてあらわれている世界史的規模で感覚してゆくためには、一層はっきりと自分たちの歴史の独自性に及んで現象を捕える力をもたなければならず、しかも政治の感覚は未だ若くて、現実を直視しておそれないという文学の本質と一致・・・ 宮本百合子 「平坦ならぬ道」
出典:青空文庫