・・・ 正の肌身はそこで藻抜けて、ここに空蝉の立つようなお澄は、呼吸も黒くなる、相撲取ほど肥った紳士の、臘虎襟の大外套の厚い煙に包まれた。「いつもの上段の室でございますことよ。」 と、さすが客商売の、透かさず機嫌を取って、扉隣へ導くと・・・ 泉鏡花 「鷭狩」
・・・あるいは相撲取かも知れぬが髪は二月前に刈ったと云う風である。その隣には五、六人、若い娘も二人ほど交じっている。機関長室には顔の赤い人の好さそうなのが航海日誌と云いそうなものへ何か書いている。ここへ色の青い恐ろしく痩せた束髪の三十くらいの女を・・・ 寺田寅彦 「高知がえり」
・・・三角な茎をさいて方形の枠形を作るというむつかしい幾何学の問題を無意識に解いて、そしてわれわれの空間の微妙な形式美を味わっている事には気がつかないでいた。相撲取草を見つけて相撲を取らせては不可解な偶然の支配に対する怪訝の種を小さな胸に植えつけ・・・ 寺田寅彦 「芝刈り」
・・・と題する小品の中にある「相撲取草」とは邦語の学名で何に当るかという質問を受けて困ってしまって同郷の牧野富太郎博士の教えを乞うてはじめてそれが「メヒシバ」だということを知った。その後の同様な質問に対しては、さもさも昔から知っていたような顔をし・・・ 寺田寅彦 「随筆難」
・・・自分はその時虫かごのふたをあけてかぶと虫を引き出し道ばたの相撲取草を一本抜いて虫の角をしっかり縛った。そして、さあといって子供に渡した。子供は泣きやんできまりの悪いようにうれしい顔をする。母親は驚いて子供をしかりながらも礼を・・・ 寺田寅彦 「花物語」
・・・ 長い間人間の目の敵にされて虐待されながら頑強な抵抗力で生存を続けて来た猫草相撲取草などを急に温室内の沃土に移してあらゆる有効な肥料を施したらその結果はどうなるであろう。事によると肥料に食傷して衰滅するかもしれない。貧乏のうちは硬骨なの・・・ 寺田寅彦 「路傍の草」
・・・「じゃ待った。少し考えるから。又右衛門だね。又右衛門、荒木又右衛門だね。待ちたまえよ、荒木の又右衛門と。うん分った」「何だい」「相撲取だ」「ハハハハ荒木、ハハハハ荒木、又ハハハハ又右衛門が、相撲取り。いよいよ、あきれてしまっ・・・ 夏目漱石 「二百十日」
出典:青空文庫