・・・ 一分間ばかりたつと、その戸口へよく肥った、頬の肉が垂れ、眉毛が三寸くらいに長く伸びている老人がチャンチャンコを着て出てきた。「ワーシカがやられた。」「ワーシカが?」「…………。」 ユーブカをつけた女は、頸を垂れ、急に改・・・ 黒島伝治 「パルチザン・ウォルコフ」
・・・ざと燭台を遠退けて顔を見られぬが一の手と逆茂木製造のほどもなくさらさらと衣の音、それ来たと俊雄はまた顫えて天にも地にも頼みとするは後なる床柱これへ凭れて腕組みするを海山越えてこの土地ばかりへも二度の引眉毛またかと言わるる大吉の目に入りおふさ・・・ 斎藤緑雨 「かくれんぼ」
・・・彼女の眼に映る住職は眉毛の長く白い人ではあったが、そんな長途の行脚に疲れて来た様子はすこしも見えなかったことを覚えている。 何年となく思い出したことのないこの旅の老僧がお三輪の胸に浮んだ。彼女も年をとって見て、不思議と他人の心を読んだ。・・・ 島崎藤村 「食堂」
・・・そして白い、短い眉毛の下の大きな、どんよりした、青い目で連の方を見ている。老人は直ぐ前を行く二人の肘の間から、その前を行く一人一人の男等を丁寧に眺めている。その歩き付きを見る。その靴や着物の値ぶみをする。それをみな心配げな、真率な、忙しく右・・・ 著:シュミットボンウィルヘルム 訳:森鴎外 「鴉」
・・・やがてそれがきちんと横向きに落ちつくと、自分は目口眉毛を心でつける。小母さんの臂がちょいちょい写る。簪で髪の中を掻いているのである。 裏では初やが米を搗く。 自分は小母さんたちと床を列べて座敷へ寝る。 枕が大きくて柔かいから・・・ 鈴木三重吉 「千鳥」
・・・ けばけばしいなりをして、眉毛を剃り落した青白い顔の女中が、あ、と首肯き、それから心得顔ににっと卑しく笑って引き込み、ほとんどそれと入れちがいに、とみが銘仙を着て玄関に現われた。男爵には、その銘仙にも気附かぬらしく、怒るような口調で言っ・・・ 太宰治 「花燭」
・・・高橋は、両の眉毛をきれいに剃り落していました。能面のごとき端正の顔は、月の光の愛撫に依り金属のようにつるつるしていました。名状すべからざる恐怖のため、私の膝頭が音たててふるえるので、私は、電気をつけようと嗄れた声で主張いたしました。そのとき・・・ 太宰治 「虚構の春」
・・・レニエはうまいことを言う。眉毛は太く短くまっ黒で、おどおどした両の小さい眼を被いかくすほどもじゃもじゃ繁茂していやがる。額はあくまでもせまく皺が横に二筋はっきりきざまれていて、もう、なっちゃいない。首がふとく、襟脚はいやに鈍重な感じで、顎の・・・ 太宰治 「ダス・ゲマイネ」
・・・歌麿以前の名家の絵をよくよく注意して見ると髷や鬢の輪郭の曲線がたいていの場合に眉毛と目の線に並行しあるいは対応している。櫛の輪郭もやはり同じ基調のヴェリエーションを示している。同じ線のリズムの余波は、あるいは衣服の襟に、あるいは器物の外郭線・・・ 寺田寅彦 「浮世絵の曲線」
・・・そうしてまたみんな申し合わせたように眉毛をきれいに剃り落としてそのあとに藍色の影がただよっていた。まだ二十歳にも足らないような女で眉を落とし歯を染めているのも決して珍しくはなかった。そうしてそれが子供の自分の目にも不思議になまめかしく映じた・・・ 寺田寅彦 「自由画稿」
出典:青空文庫