・・・輝けるは眉間に中る金剛石ぞ。「ランスロット」と幕押し分けたるままにていう。天を憚かり、地を憚かる中に、身も世も入らぬまで力の籠りたる声である。恋に敵なければ、わが戴ける冠を畏れず。「ギニヴィア!」と応えたるは室の中なる人の声とも思わ・・・ 夏目漱石 「薤露行」
・・・ 生々しい眉間の傷のような月が、薄雲の間にひっかかっていた。汽車は驀然と闇を切り裂いて飛んだ。「冗談云うない。俺だって一晩中立ち通したかねえからな」「冗談云うない。俺だってバスケットを坐らせといて立っていたくねえや」「チョッ・・・ 葉山嘉樹 「乳色の靄」
・・・丁度ヘッケルのような風をした眉間に大きな傷あとのある人が俄かに椅子を立ちました。私は今朝のパンフレットから考えてきっとあれは動物学者だろうと考えたのです。 その人はまるで顔をまっ赤にしてせかせかと祭壇にのぼりました。我々は寛大に拍手しま・・・ 宮沢賢治 「ビジテリアン大祭」
・・・ 一太の母は、不平そうに慍ったような表情を太い縦皺の切れ込んだ眉間に浮べたまま次の間に来た。小さい餉台の上に赭い素焼の焜炉があり、そこへ小女が火をとっていた。一太は好奇心と期待を顔に現して、示されたところに坐った。「今じき何か出来る・・・ 宮本百合子 「一太と母」
・・・ 弱い弱い視力を凝らして、堅い字を、罫紙にならべて行くうちに眉間が劇しく痛んで、疲れのために、字のかくは離れ離れになり、字と字の間から、種々なまぼしい光線が出て、こちゃこちゃに入り混って、到底見分けて居られなくなった。 紙をまとめて・・・ 宮本百合子 「栄蔵の死」
・・・不具になる程のことはなかったが、眉間と額との傷はのこるだろうと書いてあり、治療所のベッドから書かれたものであった。そして、その負傷のしかたが、突撃中ではなく、而もいかにもまざまざと戦地の中に置かれた身の姿を思い描かしめるような事情においてで・・・ 宮本百合子 「くちなし」
・・・ 黒板に何か書いたチョークを、両手の指先に持ち、眉間に一つ大きな黒子のある、表情の重味ある顔を、心持右か左に傾けながら、何方かと云うと速口な、然し聞とり易い落付いたアルトの声で、全心を注ぎ、講義された俤が、今に髣髴としている。 先生・・・ 宮本百合子 「弟子の心」
・・・と言った数馬の眉間には、深い皺が刻まれた。「よいわ。討死するまでのことじゃ」こう言い放って、数馬はついと起って館を下がった。 このときの数馬の様子を光尚が聞いて、竹内の屋敷へ使いをやって、「怪我をせぬように、首尾よくいたして参れ」と言わ・・・ 森鴎外 「阿部一族」
・・・ 秀麿の眉間には、注意して見なくては見えない程の皺が寄ったが、それが又注意して見ても見えない程早く消えて、顔の表情は極真面目になっている。「君つまらない笑談は、僕の所でだけはよしてくれ給え。」「劈頭第一に小言を食わせるなんぞは驚いた・・・ 森鴎外 「かのように」
・・・ 九郎右衛門は眉間に皺を寄せた。暫くして、「大きい車は廻りが遅いのう」と云った。 それから九郎右衛門は、旅の支度が出来たかと問うた。いずれお許が出てからと、宇平が云った。叔父の眉間には又皺が寄った。しかし今度は長い間なんとも言わなか・・・ 森鴎外 「護持院原の敵討」
出典:青空文庫