・・・怪しい小男は、段を昇切った古杉の幹から、青い嘴ばかりを出して、麓を瞰下しながら、あけびを裂いたような口を開けて、またニタリと笑った。 その杉を、右の方へ、山道が樹がくれに続いて、木の根、岩角、雑草が人の脊より高く生乱れ、どくだみの香深く・・・ 泉鏡花 「貝の穴に河童の居る事」
・・・ その時尉官は傲然として俯向けるお通を瞰下しつつ、「吾のいうことには、汝、きっと従うであろうな。」 此方は頭を低れたるまま、「いえ、お従わせなさらなければ不可ません。」 尉官は眉を動かしぬ。「ふむ。しかし通、吾を良人・・・ 泉鏡花 「琵琶伝」
・・・わずかそうしたことすら彼には習慣的な反対――崖からの瞰下景に起こったであろう一つの変化がちらと心を掠めるのであった。部屋が暗くなると夜気がことさら涼しくなった。崖路の闇もはっきりして来た。しかしそのなかには依然として何の人影も立ってはいなか・・・ 梶井基次郎 「ある崖上の感情」
・・・実際ただ炭を見ていたのかも知れない、通りがかりだからツイ手に取って見ているところを不意に他人から瞰下されて理由もなく顔を赤らめたのかも知れない。まして自分が見たのだから狼狽えたのかも知れない。と考えれば考えられんこともないのである。真蔵はな・・・ 国木田独歩 「竹の木戸」
・・・もってかの古大通の説くがごとくんば女は端からころりころり日の下開山の栄号をかたじけのうせんこと死者の首を斬るよりも易しと鯤、鵬となる大願発起痴話熱燗に骨も肉も爛れたる俊雄は相手待つ間歌川の二階からふと瞰下した隣の桟橋に歳十八ばかりの細そりと・・・ 斎藤緑雨 「かくれんぼ」
・・・ 階段の中程へ腰をおろし、下の板敷の騒動をひろ子も始めは興にのり、笑い笑い瞰下していた。が、暫くそうやっているうち、ひろ子は、ひとを笑わせ自分も笑っている章子が可哀そうみたいな妙な心持になって来た。紅い帯を胸から巻き、派手な藤色に厚く白・・・ 宮本百合子 「高台寺」
・・・(にじり出した、宮の端から下界を瞰下一寸下を覗かせろ。愚鈍な人間共が、何も知らずに泰平がっている有様を、もう一息の寿命だ。見納めに見てやろう。ヴィンダー 俺の大三叉も、そろりそろりと鳴り始めたぞ。この掌に伝わる頼もしい震動はどうだ。ふむ・・・ 宮本百合子 「対話」
・・・活動写真館の音楽隊は、太鼓、クラリネットを物干しまで持ち出し、下をぞろぞろ通る娘たちを瞰下しつつ、何進行曲か、神様ばかり御承知の曲を晴れた空まで吹きあげた。「きみちゃん、おいでよ、これ」「サア入らっしゃい! 入らっしゃい!」 下・・・ 宮本百合子 「町の展望」
出典:青空文庫