・・・辻を北に取れば竜泉寺の門前を過ぎて千束稲荷の方へ抜け、また真直に西の方へ行けば、三島神社の石垣について阪本通へ出るので、毎夜吉原通いの人力車がこの道を引きもきらず、提灯を振りながら走り過るのを、『たけくらべ』の作者は「十分間に七十五輌」と数・・・ 永井荷風 「里の今昔」
・・・その頃、小田原の城跡には石垣や堀がそのまま残っていて、天主台のあった処には神社が建てられ、その傍に葭簀張の休茶屋があって、遠眼鏡を貸した。わたくしが父に伴われて行った料理茶屋は堀端に生茂った松林のかげに風雅な柴折門を結んだ茅葺の家であった。・・・ 永井荷風 「十六、七のころ」
・・・るのかしらん英国は険呑な所だと * * * 余が廿貫目の婆さんに降参して自転車責に遇ってより以来、大落五度小落はその数を知らず、或時は石垣にぶつかって向脛を擦りむき、或る時は・・・ 夏目漱石 「自転車日記」
・・・伝統的な士道の末期的な教養は一面で馬琴の世界に勧善懲悪の善玉悪玉をつくり出しているとともに、他の半面では既に封建の石垣がくずれようとしている現実的な力に浸潤され、より現実の市民常識への拡大が行われているのである。 明治の初期の文学では、・・・ 宮本百合子 「作家と教養の諸相」
・・・一雨で崩れそうなごろた石の石垣について曲り、道でないような土産屋の庇下を抜けると、一方は崖、一方に川の流れている処へ出た。川岸に数軒ひどい破屋があって、一軒では往来から手の届く板の間に黄色い泥のようなもので拵えた恵比寿がいくつも乾してあった・・・ 宮本百合子 「白い蚊帳」
・・・数馬は振り切って城の石垣に攀じ登る。島も是非なくついて登る。とうとう城内にはいって働いて、数馬は手を負った。同じ場所から攻め入った柳川の立花飛騨守宗茂は七十二歳の古武者で、このときの働きぶりを見ていたが、渡辺新弥、仲光内膳と数馬との三人が天・・・ 森鴎外 「阿部一族」
・・・きて、庭の方へ築き出してある小さいヴェランダへ出て見ると、庭には一面に、大きい黄いろい梧桐の葉と、小さい赤い山もみじの葉とが散らばって、ヴェランダから庭へ降りる石段の上まで、殆ど隙間もなく彩っている。石垣に沿うて、露に濡れた、老緑の広葉を茂・・・ 森鴎外 「かのように」
・・・ ツァウォツキイの死骸は墓地の石垣の傍に埋められた。その時グランの僧正が引導を渡したと云うのは訛伝である。それに反して、女房ユリアが夜明かしをして自分で縫った黒の喪服を着て、墓の前に立ったと云うのは事実である。公園中に一しょに住んでいた・・・ 著:モルナールフェレンツ 訳:森鴎外 「破落戸の昇天」
・・・緊迫した石垣の冷たさが籠み冴えて透った。暗い狸穴の街路は静な登り坂になっていて、ひびき返る靴音だけ聞きつつ梶は、先日から驚かされた頂点は今夜だったと思った。そして、栖方の云うことを嘘として退けてしまうには、あまりに無力な自分を感じてさみしか・・・ 横光利一 「微笑」
・・・そうではなくしてこれらの建築に対し静かに眠っているようなお濠の石垣と和田倉門とが、実に鮮やかな印象をもって自分を驚かせたのである。柔らかに枝を垂れている濠側の柳、淀んだ濠の水、さびた石垣の色、そうして古風な門の建築、――それらは一つのまとま・・・ 和辻哲郎 「城」
出典:青空文庫