・・・地は納戸色、模様は薄き黄で、裸体の女神の像と、像の周囲に一面に染め抜いた唐草である。石壁の横には、大きな寝台が横わる。厚樫の心も透れと深く刻みつけたる葡萄と、葡萄の蔓と葡萄の葉が手足の触るる場所だけ光りを射返す。この寝台の端に二人の小児が見・・・ 夏目漱石 「倫敦塔」
・・・見上げる石壁が平ったく横に続いてるだけだ。が、山の手から来ると人はあらゆる地上地下の交通機関とともに必ずこの英蘭銀行三角州につき当った。八本の大円柱の上の破風にはANNO―ELIZABETHAE―R――CONDITUM―ANNO―VICTO・・・ 宮本百合子 「ロンドン一九二九年」
・・・牛の牢という名は、めぐりの石壁削りたるようにて、昇降いと難ければなり。ここに来るには、横に道を取りて、杉林を穿ち、迂廻して下ることなり。これより鳳山亭の登りみち、泉ある処に近き荼毘所の迹を見る。石を二行に積みて、其間の土を掘りて竈とし、その・・・ 森鴎外 「みちの記」
・・・額を石壁に打ち附けるように、人に向かって説くか。救世軍の伝道者のように辻に立って叫ぶか。馬鹿な。己は幼穉だ。己にはなんの修養もない。己はあの床の間の前にすわって、愉快に酒を飲んでいる。真率な、無邪気な、そして公々然とその愛するところのものを・・・ 森鴎外 「余興」
出典:青空文庫