・・・磁力測量に使う磁石棒の長さをミクロンまで精密に測ろうとして骨折った頃にもよく豊国の牛肉を食った。磁石と豊国とがその時から結合した。 解剖学のO教授もよくここの昼食を食いに来ていた。ドイツ生れのO夫人がちゃんと時刻をたがえずやって来て一つ・・・ 寺田寅彦 「病院風景」
・・・天体の影響などは云うに足らぬし、普通の場合ならば電気や磁気の影響は小さいであろうが、しかしもし不注意にも鉄の振子を強い磁石の傍で振らせたり、あるいは軽い振子の場合に箱のガラスが荷電していたりしては決して正しい結果は得られるはずはない。箱の中・・・ 寺田寅彦 「物理学実験の教授について」
・・・ その次に磁石の説が来るのは今の科学書の体裁と比較して見れば唐突の感がある。ただし著者のつもりは、あらゆる「不思議」を解説するにあるのであって、科学の系統を述べているのでないと思えばよい。 磁石の作用を考えている中に「感応」の観念の・・・ 寺田寅彦 「ルクレチウスと科学」
・・・「しかし鉄片が磁石に逢うたら?」「はじめて逢うても会釈はなかろ」と拇指の穴を逆に撫でて澄ましている。「見た事も聞いた事もないに、これだなと認識するのが不思議だ」と仔細らしく髯を撚る。「わしは歌麻呂のかいた美人を認識したが、なんと画を活か・・・ 夏目漱石 「一夜」
・・・引き付けられたる鉄と磁石の、自然に引き付けられたれば咎も恐れず、世を憚りの関一重あなたへ越せば、生涯の落ち付はあるべしと念じたるに、引き寄せたる磁石は火打石と化して、吸われし鉄は無限の空裏を冥府へ隕つる。わが坐わる床几の底抜けて、わが乗る壇・・・ 夏目漱石 「薤露行」
・・・見る間に三万坪に余る過去の一大磁石は現世に浮游するこの小鉄屑を吸収しおわった。門を入って振り返ったとき、憂の国に行かんとするものはこの門を潜れ。永劫の呵責に遭わんとするものはこの門をくぐれ。迷惑の人と伍せんとするものはこの門・・・ 夏目漱石 「倫敦塔」
・・・元来私は、磁石の方角を直覚する感官機能に、何かの著るしい欠陥をもった人間である。そのため道のおぼえが悪く、少し慣れない土地へ行くと、すぐ迷児になってしまった。その上私には、道を歩きながら瞑想に耽る癖があった。途中で知人に挨拶されても、少しも・・・ 萩原朔太郎 「猫町」
・・・くちばしならきっと磁石にかかるよ。」「楊の木に磁石があるのだろうか。」「磁石だ。」 風がどうっとやって来ました。するといままで青かった楊の木が、俄かにさっと灰いろになり、その葉はみんなブリキでできているように変ってしまいました。・・・ 宮沢賢治 「鳥をとるやなぎ」
・・・トルコ人たちは脚が長いし、背嚢を背負って、まるで磁石に引かれた砂鉄とい〔以下原稿数枚なし〕そうにあたりの風物をながめながら、三人や五人ずつ、ステッキをひいているのでした。婦人たちも大分ありました。又支那人かと思われる顔の黄いろな人と・・・ 宮沢賢治 「ビジテリアン大祭」
・・・「だけれどねえ、それではわたしが気が済まないんだよ。そうだ、あなたは鎖はいらないの。」 わたくしは時計の鎖なら、なくても済むと思いながら銀の鎖をはずしました。「いいや。」「磁石もついてるよ。」 すると子どもは顔をぱっと熱・・・ 宮沢賢治 「ポラーノの広場」
出典:青空文庫