・・・私は仕事部屋に、寒暖計だの湿度計だの磁石だのよく切れるハサミ、ナイフだの欲しい。今は寒暖計だけ。こういう程度に直接生活的な器は何だか生活慾を刺戟していい心持です。ところが時計はチクタクの大きく聴えるのなど大きらいです。あの夏になると眠りがち・・・ 宮本百合子 「獄中への手紙」
・・・をして色んな人に聞き合せて南から決死隊で生還したという人の準備を聞くことが出来て、今日はどうぞこの包みが間に合うように、と願いながら緑茶を小さいカンにつめたり、かつお節をけずったり、紀さんに頼んで夜光磁石や、天文図やウィスキーの瓶詰などを陸・・・ 宮本百合子 「獄中への手紙」
・・・の偉大な人間及芸術家の生活現象に密林はおそろしいほど鬱蒼としているものだから、そのディテールの中で迷いこんでしまわないためには、その密林をとおして各々の客観的な歴史的な位置を知らせる、云ってみれば生活磁石のようなものが求められて来る。この気・・・ 宮本百合子 「『トルストーイ伝』」
・・・両手を拡げるように都会植民地の前に大柱列を並べ、人はそこまで出てしまうと西から来て再び西へ寄せ返す人波と、二つの巨大な磁石巖――株式取引所と銀行とのまわりで揉み合い塵を捲き上げつつ流れる人渦とを見るだけである。 ヨーロッパの買占人、・・・ 宮本百合子 「ロンドン一九二九年」
・・・あそこにまた昔話の磁石の山が、舟の釘を吸い寄せるように、探険家の心を始終引き付けている地極の秘密が眠っている。我々は北極の閾の上に立って、地極というものの衝く息を顔に受けている。 この土地では夜も戸を締めない。乞食もいなければ、盗賊もい・・・ 著:ランドハンス 訳:森鴎外 「冬の王」
・・・そして磁石のように砂のなかからただ鉄のみを吸い上げる。それはほとんど本能的である。かくして作られたる体験の体系は、一つの新しい生として創造の名に価する。 ただしかし、その体験が浅薄なゆえに偽りを含んでいるとしたら――・・・ 和辻哲郎 「生きること作ること」
出典:青空文庫