・・・そして日曜の朝の礼拝にも、金曜日の夜の祈祷会にも必ず出席して、日曜の夜の説教まで聞きに行くのでした。 他の下宿に移ってまもなくの事でありました、木村が、今夜、説教を聞きに行かないかと言います。それもたって勧めるではなく、彼の癖として少し・・・ 国木田独歩 「あの時分」
・・・駒下駄で顔を殴られ、その駒下駄を錦の袋に収め、朝夕うやうやしく礼拝して立身出世したとかいう講談を寄席で聞いて、実にばかばかしく、笑ってしまったことがあったけれど、あれとあんまり違わない。大芸術家になるのもまた、つらいものである。などと茶化し・・・ 太宰治 「鬱屈禍」
・・・さいわい、戦災にも遭わず、二人の子供は丸々と太り、老母と妻との折合いもよろしく、彼は日の出と共に起きて、井戸端で顔を洗い、その気分のすがすがしさ、思わずパンパンと太陽に向って柏手を打って礼拝するのである。老母妻子の笑顔を思えば、買い出しのお・・・ 太宰治 「家庭の幸福」
・・・ この湖畔の呉王廟は、三国時代の呉の将軍甘寧を呉王と尊称し、之を水路の守護神としてあがめ祀っているもので、霊顕すこぶるあらたかの由、湖上往来の舟がこの廟前を過ぐる時には、舟子ども必ず礼拝し、廟の傍の林には数百の烏が棲息していて、舟を見つ・・・ 太宰治 「竹青」
・・・ 三 世界の屋根 この映画で自分のもっとも美しいと思った場面はおおぜいの白衣の回教徒がラマダンの断食月に寺院の広場に集まって礼拝する光景である。だがせっかくのこのおもしろい場面をつまらぬこしらえものの活劇で打ちこわし・・・ 寺田寅彦 「映画雑感(3[#「3」はローマ数字、1-13-23])」
・・・映画の使命は単に大衆のスター崇拝の礼拝堂を建てるのみではないであろう。 はなはだ無意味でつまらないようである意味で非常に進歩しているのはアメリカのナンセンス映画やミュージカル・コメディの類である。ある人の説のごとく、芸術は在るところのも・・・ 寺田寅彦 「映画時代」
・・・それは温厚篤実をもって聞こえた人で世間ではだれ一人非難するもののないほどまじめな親切な老人であって、そうして朝晩に一度ずつ神棚の前に礼拝し、はるかに皇城の空を伏しおがまないと気の済まない人であった。それが年の始めのいちばんだいじな元旦の朝と・・・ 寺田寅彦 「自由画稿」
・・・しかし浴場に附属した礼拝堂と図書館と画廊と音楽堂と運動場の建築が必要であると云って、それで三人でこの仮想的浴場のプランを画いてみたりした。しかしその費用の出処については誰にも何の目あてもないので、おしまいにはとうとう三人で笑い出してしまった・・・ 寺田寅彦 「電車と風呂」
・・・――昔は十万石以上の大名がこの殿上に居並び、十万石以下の大名は外なる廻廊に参列して礼拝の式をなした。かく説明する僧侶の音声は如何によく過去の時代の壮麗なる式場の光景を眼前に髣髴たらしめるであろうか。 自分は厳かなる唐獅子の壁画に添うて、・・・ 永井荷風 「霊廟」
・・・然し、中国に拡ったインドの仏教はもとのものとは多くの違った点を持って現れたし、日本において拡まった仏教は、インドの仏教とは礼拝の形式においてさえも違うということをかつてその道の人からきいたことがある。ある国の文化がそのままの形、そのままの内・・・ 宮本百合子 「今日の文化の諸問題」
出典:青空文庫