・・・会う時にお時儀をするとか手を握るとか云う型がなければ、社交は成立しない事さえある。けれども相手が物質でない以上は、すなわち動くものである以上は、種々の変化を受ける以上は、時と場合に応じて無理のない型を拵えてやらなければとうていこっちの要求通・・・ 夏目漱石 「中味と形式」
・・・その時余の受けた感じは、品位のある紳士らしい男――文学者でもない、新聞社員でもない、また政客でも軍人でもない、あらゆる職業以外に厳然として存在する一種品位のある紳士から受くる社交的の快味であった。そうして、この品位は単に門地階級から生ずる貴・・・ 夏目漱石 「長谷川君と余」
・・・僕は比較的良家の生れ、子供の時に甘やかされて育った為に、他人との社交について、自己を抑制することができないのである。その上僕の風変りな性格が、小学生時代から仲間の子供とちがって居たので、学校では一人だけ除け物にされ、いつも周囲から冷たい敵意・・・ 萩原朔太郎 「僕の孤独癖について」
・・・大学などでは一種のアカデミックな社交性というようなもので綺麗ごとに共学されていて、たとえばアメリカの大学の社会科の女子学生と男子学生とが、夏期休暇中の共同研究として、浮浪者の生活調査をやるとか、女子の失業と売淫生活に堕ちてゆく過程の調査だと・・・ 宮本百合子 「明日をつくる力」
・・・よくカメラとか音楽とか、いわゆる趣味を通じて異性の間が結ばれるけれども、社交性とは違う友情という点からいえば、同じカメラに対するにしても、それに対する一定の態度において、互の評価なり敬意なりが可能であるということが求められるのであると思う。・・・ 宮本百合子 「異性の間の友情」
・・・俳優としてよりむしろライナーの富、華麗、社交性、女としての日常性があすこで一閃するが如き強烈な印象を与えるのである。映画全体として、これは一つの大きい破綻のモメントである。監督フランクリンがそれに心付いていまい。そのことにもまたこの監督の身・・・ 宮本百合子 「映画の語る現実」
・・・めいた存在です。社交的に いかにも顕著な存在ですが、日本の実際には大した足場がありません。そのために、アメリカの目の下で、社交性を裏づける「何か一つ」をやらなければならないという焦燥があるということがわかりました。そのために、いろいろの婦人・・・ 宮本百合子 「往復帖」
・・・ 丁度近所の人の態度と同じで、木村という男は社交上にも余り敵を持ってはいない。やはり少し馬鹿にする気味で、好意を表していてくれる人と、冷澹に構わずに置いてくれる人とがあるばかりである。 それに文壇では折々退治られる。 木村はただ・・・ 森鴎外 「あそび」
・・・秀麿は別に病気はないのに、元気がなくなって、顔色が蒼く、目が異様に赫いて、これまでも多く人に交際をしない男が、一層社交に遠ざかって来た。五条家では、奥さんを始として、ひどく心配して、医者に見せようとしたが、「わたくしは病気なんぞはありません・・・ 森鴎外 「かのように」
・・・ 二、社交上の漱石 二度ばかり逢ったばかりであるが、立派な紳士であると思う。 三、門下生に対する態度 門下生と云うような人物で僕の知て居るのは、森田草平君一人である。師弟の間は情誼が極めて濃厚であると・・・ 森鴎外 「夏目漱石論」
出典:青空文庫