・・・それによると御病気の様子、それも例の持病の喘息とばかりでなく、もっと心にかかる状態のように伺われますが、いかがでございますか、せっかくお大事になさいますよう祈ります。私の身は本年じゅうには解決はつくまいと覚悟しております。…… ああ! ・・・ 葛西善蔵 「父の出郷」
・・・ それから牧師の祈りと、熱心な説教、そしてすべてが終わって、堂の内の人々一斉の黙祷、この時のしばしの間のシンとした光景――私はまるで別の世界を見せられた気がしたのであります。 帰りは風雪になっていました。二人は毛布の中で抱き合わんば・・・ 国木田独歩 「あの時分」
・・・しおり候ここをくみ候わば一兵士ながらもそなたの幸いはいかばかりならんまた申すまでもなけれど上長の命令を堅く守り同列の方々とは親しく交わり艱難を互いにたすけ合い心を一にして大君の御為御励みのほどひとえに祈り上げ候以上は母が今わの際の遺言と・・・ 国木田独歩 「遺言」
・・・どうしても彼のために祈り、自分の傷を癒やしてくれる人間以上のものを求めたくなる。人間の愛につまずいた者が人間以上のものを求めるようになる心理は実に自然である。人の心は恃み難しとして神にゆく者は少なくないが、それほどでなくても少なくとも宗教的・・・ 倉田百三 「人生における離合について」
・・・そんなものはございません、と云ったが、少し考えてから、老婢を近処の知合の大工さんのところへ遣って、巧く祈り出して来た。滝割の片木で、杉の佳い香が佳い色に含まれていた。なるほどなるほどと自分は感心して、小短冊位の大きさにそれを断って、そして有・・・ 幸田露伴 「野道」
・・・この時代の人は大概現世祈祷を事とする堕落僧の言を無批判に頂戴し、将門が乱を起しても護摩を焚いて祈り伏せるつもりでいた位であるし、感情の絃は蜘蛛の糸ほどに細くなっていたので、あらゆる妄信にへばりついて、そして虚礼と文飾と淫乱とに辛くも活きてい・・・ 幸田露伴 「魔法修行者」
・・・天に祈りたい気持であった。あの蝋燭が尽きないうちに私が眠るか、またはコップ一ぱいの酔いが覚めてしまうか、どちらかでないと、キクちゃんが、あぶない。 焔はちろちろ燃えて、少しずつ少しずつ短かくなって行くけれども、私はちっとも眠くならず、ま・・・ 太宰治 「朝」
・・・先生御自愛を祈ります。敬具。 六月十日木戸一郎 井原退蔵様 拝復。 先日は、短篇集とお手紙を戴きました。御礼おくれて申しわけありませんでした。短篇集は、いずれゆっくり拝読させて戴くつもりです。まずは、御礼まで・・・ 太宰治 「風の便り」
・・・ それで私はすべての歌人に望むように宇都野さんの場合にも、どうかあまりに頭のいい自己批評から作歌の上に拘束を加えて、鮮明な自然の顔の輪郭が多少でも崩されるような事のないように祈りたいと思う。 もう一つ特に私が宇都野さんに望む所は、時・・・ 寺田寅彦 「宇都野さんの歌」
・・・ホテルの一室で人が対話していると、窓越しに見える遠見の屋上でアラビア人のアルラーにささげる祈りの歌が聞こえる。すると平凡な一室が突然テヘランの町の一角に飛んで行く。こういう効果はおそらく音響によってのみ得られるべきものである。探偵が来て「可・・・ 寺田寅彦 「映画時代」
出典:青空文庫