・・・世間に妥協するも究極は功利に終始するも、蓋し表現の上では、どんなことも書けると言うのである。 ある者は、世間を詐わり、また自己をも詐わるのだ。真剣であるならば、その態度に対して、第三者は、いさゝかの疑念をも挾むことができないだろう。即ち・・・ 小川未明 「正に芸術の試煉期」
・・・右往も左往も出来ない窮極の場所に坐って、私たちは、その事に努めていた筈である。それを続けて行くより他は無い。持物は、神から貰った鳥籠一つだけである。つねに、それだけである。 大君の辺にこそ、とは日本のひと全部の、ひそかな祈願の筈である。・・・ 太宰治 「一燈」
・・・そんな人たちは、窮極に於いて、あさましい無学者にきまっているのであるが、世の中は彼等を、「智慧ある人」として、畏敬するのであるから、奇妙である。 鴎外だって、嘲っている。鴎外が芝居を見に行ったら、ちょうど舞台では、色のあくまでも白い侍が・・・ 太宰治 「女の決闘」
・・・私は、安易な隙間隙間をねらって、くぐりぬけて歩いて来た。窮極の問題は、私がいま、なんの生き甲斐も感じていないという事に在ったのでした。生きる事に何も張り合いが無い時には、自殺さえ、出来るものではありません。自殺は、かえって、生きている事に張・・・ 太宰治 「風の便り」
・・・人間のプライドの窮極の立脚点は、あれにも、これにも死ぬほど苦しんだ事があります、と言い切れる自覚ではないか。私は丙種合格で、しかも貧乏だが、いまは遠慮する事は無い。東京名所は、更に大きい声で、「あとは、心配ないぞ!」と叫んだ。これからT・・・ 太宰治 「東京八景」
・・・気弱い内省の窮極からでなければ、真に崇厳な光明は発し得ないと私は頑固に信じている。とにかく私は、もっと生きてみたい。謂わば、最高の誇りと最低の生活で、とにかく生きてみたい。「ヴェルレエヌは、大袈裟だったかな? どうも、この着物では何を言・・・ 太宰治 「服装に就いて」
・・・「私が実用に無関係と云ったのは、純粋な研究の窮極目的についてである。その目的はただ極めて少数の人にのみ認め得られるものである。それでせいぜい科学の準備くらいのところまでこの考えを持って行くのは見当違いである。むしろ反対に私は学校で教える・・・ 寺田寅彦 「アインシュタインの教育観」
・・・長い間考えていてどうしても解釈のつかなかった問題が、偶然の機会にほとんど電光のように一時にくまなくその究極を示顕する。その光で一度目標を認めた後には、ただそれがだれにでも認め得られるような論理的あるいは実験的の径路を開墾するまでである。もっ・・・ 寺田寅彦 「科学者と芸術家」
・・・実際科学上の知識を絶対的または究極的なものと信じる立場から見ればこれも当然な事であろう。また応用という点から考えてもそれで十分らしく思われるのである。しかしこの傾向が極端になると、古いものは何物でも無価値と考え、新しきものは無差別に尊重する・・・ 寺田寅彦 「科学上の骨董趣味と温故知新」
・・・かようにしてすべての戸棚や引出しの仕切りをことごとく破ってしまうのが、物理科学の究極の目的である。隔壁が除かれてももはや最初の混乱状態には帰らない。何となればそれは一つの整然たる有機的体系となるからである。 出来上がったものは結局「言語・・・ 寺田寅彦 「言語と道具」
出典:青空文庫