・・・駅に降り立つと、くろぐろとした山の肌が突然眼の前に迫った。夜更けの音がそのあたりにうずくまっているようだった。妙な時刻に着いたものだと、しょんぼり佇んでいると、カンテラを振りまわしながら眠ったく駅の名をよんでいた駅員が、いきなり私の手から切・・・ 織田作之助 「秋深き」
・・・昨年の夏以来彼女の実家とは義絶状態になっていたのだが、この一月中旬突然彼女の老父危篤の電報で、大きな腹をして帰ったのだが、十日ほどで老父は死に、ひと七日をすます早々、彼女はまた下宿に帰ってきた。母も姉たちもいるのだが、彼女の腹の始末をつけて・・・ 葛西善蔵 「死児を産む」
・・・それは女の姿がその明るい電灯の光を突然遮ったためだった。女が坐って盆をすすめると客のような男がぺこぺこ頭を下げているのが見えた。 石田はなにか芝居でも見ているような気でその窓を眺めていたが、彼の心には先の夜の青年の言った言葉が不知不識の・・・ 梶井基次郎 「ある崖上の感情」
・・・と突然鸚鵡が間のぬけた調子で鳴いたので、「や、こいつは奇体だ、樋口君、どこから買って来たのだ、こいつはおもしろい」と、私はまだ子供です、実際おもしろかった、かごのそばに寄ってながめました。「うん、おもしろい鳥だろう」と、樋口はさびし・・・ 国木田独歩 「あの時分」
・・・キューリー夫人のように自分の最愛の夫であり、唯一の科学の共働者であるものを突然不慮の災難によって奪い去らるる死別もあれば、ただ貧苦のためだけで一家が離散して生きなければならない生別もある。姉は島原妹は他国 桜花かや散りぢりに・・・ 倉田百三 「人生における離合について」
・・・ 武石は、突然、その懸命な声に、自分が悪いことをしているような感じを抱かせられ、窓から辷り落ちた。 コーリヤは、窓の方へ来かけて、途中、ふとあとかえりをして、扉をぴしゃっと閉めた。暫らく二人は窓の下に佇んでいた。丘の上の、雪に蔽われ・・・ 黒島伝治 「渦巻ける烏の群」
・・・逃げ出そうとして意を遂げなかった後、恐ろしい雁坂を越えて東京の方へ出ようと試みたことが、既に一度で無く二度までもあったからで、それをお浪が知っていようはずは無いが、雁坂を越えて云々と云い中られたので、突然に鋭い矢を胸の真正中に射込まれたよう・・・ 幸田露伴 「雁坂越」
・・・俺はその時、突然肩をつかまれたように、そのどの中にも我々の同志が腕を組み、眼を光らして坐っているのだ、ということを感じた。 俺は最初まだ何にも揃っていないガランドウの独房の中に入れられた。扉が小さい室に風を煽って閉まると、ガチャン/\と・・・ 小林多喜二 「独房」
・・・ とおげんは笑って、あまりに突然な姪の嬉しがらせを信じなかった。 しかし、お玉が迎えに来たことは、どうやら本当らしかった。悩ましいおげんの眼には、何処までが待ちわびた自分を本当に迎えに来てくれたもので、何処までが夢の中に消えていくよ・・・ 島崎藤村 「ある女の生涯」
・・・工場の小路で、酔漢の荒い言葉が、突然起った。私は、耳をすました。 ――ば、ばかにするなよ。何がおかしいんだ。たまに酒を呑んだからって、おらあ笑われるような覚えは無え。I can speak English. おれは、夜学へ行ってんだよ。・・・ 太宰治 「I can speak」
出典:青空文庫