・・・劇の如きも今日でこそ猫も杓子も書く、生れて以来まだ一度も芝居の立見さえした事のない連中が一と幕物を書いてる。児供のカタゴトじみた文句を聯べて辻褄合わぬものをさえ気分劇などと称して新らしがっている事の出来る誠に結構な時勢である。が、坪内君が『・・・ 内田魯庵 「明治の文学の開拓者」
・・・ 濡れた水着のままでよく真砂座の立見をした事があった。永代の橋の上で巡査に咎められた結果、散々に悪口をついて捕えられるなら捕えて見ろといいながら四、五人一度に橋の欄干から真逆様になって水中へ飛込み、暫くして四、五間も先きの水面にぽっくり・・・ 永井荷風 「夏の町」
・・・大入で這入れないからガレリーで立見をしていると傍のものが、あすこにいる二人は葡萄耳人だろうと評していた。――こんな事を話すつもりではなかった。話しの筋が分らなくなった。ちょっと一服してから出直そう。 まず散歩でもして帰るとちょっと気分が・・・ 夏目漱石 「倫敦消息」
・・・一寸」と私の腕を控えた。「この麻雀というの、こないだの蜂雀の真似じゃあないこと――そうだ、滑稽だな、澄子の麻雀とは振っている。一寸立ち見をしないこと」 私は、日本映画は嫌いなのだが、蜂雀を麻雀とこじつけた幼稚なおかしさや、澄子が・・・ 宮本百合子 「茶色っぽい町」
・・・そしてF君を連れて、立見と云う宿屋へ往かせた。立見と云うのは小倉停車場に近い宿屋で、私がこの土地に著いた時泊った家である。主人は四十を越した寡婦で、狆を可哀がっている。怜悧で、何の話でも好くわかる。私はF君をこの女の手に托したのである。・・・ 森鴎外 「二人の友」
出典:青空文庫