・・・ていたが、そのシメオンの口から、当時の容子が信徒の間へ伝えられ、それがまた次第に諸方へひろまって、ついには何十年か後に、この記録の筆者の耳へもはいるような事になったのである。もし筆者の言をそのまま信用すれば「ふらんしす上人さまよえるゆだやび・・・ 芥川竜之介 「さまよえる猶太人」
・・・ 読む方は、筆者が最初に言ったある場合を、ごく内端に想像さるるが可い。 小一に仮装したのは、この山の麓に、井菊屋の畠の畑つくりの老僕と日頃懇意な、一人棲の堂守であった。大正十四年三月・・・ 泉鏡花 「怨霊借用」
・・・神に使うる翁の、この譬喩の言を聞かれよ。筆者は、大石投魚を顕わすのに苦心した。が、こんな適切な形容は、凡慮には及ばなかった。 お天守の杉から、再び女の声で……「そんな重いもの持運ぶまでもありませんわ。ぽう、ぽっぽ――あの三人は町へ遊・・・ 泉鏡花 「貝の穴に河童の居る事」
・・・ ――樹島の事をここに記して―― 筆者は、無憂樹、峰茶屋心中、なお夫人堂など、両三度、摩耶夫人の御像を写そうとした。いままた繰返しながら、その面影の影らしい影をさえ、描き得ない拙さを、恥じなければならない。大正十三年七月・・・ 泉鏡花 「夫人利生記」
・・・ この、筆者の友、境賛吉は、実は蔦かずら木曾の桟橋、寝覚の床などを見物のつもりで、上松までの切符を持っていた。霜月の半ばであった。「……しかも、その(蕎麦二膳には不思議な縁がありましたよ……」 と、境が話した。 昨夜は松本で・・・ 泉鏡花 「眉かくしの霊」
・・・をこそ好まないが、かつてザクセンの建築学会で日本家屋論を講演した事がある、邦人にして独逸語を以て独逸人の前で演説したのは余を以て嚆矢とすというような論鋒で、一々『国民新聞』所載の文章を引いては、この処筆者の風彷彿として見はると畳掛けて、暗に・・・ 内田魯庵 「鴎外博士の追憶」
・・・等二三の重なる雑誌でさえが其執筆者又は寄書家に相当の報酬を支払うだけの経済的余裕は無かったので、当時の雑誌の存在は実は操觚者の道楽であって、ビジネスとして立派に成立していたのでは無かった。従って操觚者が報酬を受くる場合は一冊の著述をする外な・・・ 内田魯庵 「二十五年間の文人の社会的地位の進歩」
・・・風景にしろ、人物にしろ、無駄に描かれた線はなく、どの部分を見ても生動するものですが、そういう絵は、よ程いゝ筆者を待たなければなりません。 しかし、尽せぬ滋味を汲むことには、絵も文章もかわりがないのです。むしろ、文章の方が、より多く想像を・・・ 小川未明 「読むうちに思ったこと」
・・・の綾で、他の時は知らず、この時ばかりは、お前の渋い顔なぞいっぺんも見たことはない。 序でに言って置くが、この「渋い顔」という言葉に限らず、少なくともこのあたり「真相をあばく」の筆者は重大な手落ちをやっている。この支店長募集をすべてお前の・・・ 織田作之助 「勧善懲悪」
・・・君死にたまふことなかれ××××××は戦ひに××××からは出でまさねかたみに人の血を流し獣の道に死ねよとは死ぬるを人のほまれとは 勝手に数行を引いたのであるが、××は筆者がした。××にしなければ、今日では恐・・・ 黒島伝治 「反戦文学論」
出典:青空文庫