・・・里子の時分、転々と移っていたことに似ているわけだったが、しかしさすがの父も昔のことはもう忘れていたのか、そんな私を簡単に不良扱いにして勘当してしまいました。しかし勘当されたとなると、もうどこも雇ってくれるところはなし、といって働かねば食えず・・・ 織田作之助 「アド・バルーン」
・・・弘前の菩提寺で簡単な法要をすませたが、その席で伯母などからさんざん油をしぼられ、ほうほうの体で帰京した。その前後から自分は節制の気持を棄てた。その結果が、あと十日と差迫った因果の塊りと、なったというわけである。…… ああ、それにしても、・・・ 葛西善蔵 「死児を産む」
・・・わけもなく簡単な黒と白のイメイジである。しかしなんという言いあらわしがたい感情に包まれた風景か。その銅板画にはここに人が棲んでいる。戸を鎖し眠りに入っている。星空の下に、闇黒のなかに。彼らはなにも知らない。この星空も、この闇黒も。虚無から彼・・・ 梶井基次郎 「温泉」
・・・この天然と生命との機微を無視するキリスト教的、人道主義は、簡単に、一夫一婦の厳守を強制するのみで、その無理に気がつかない。それは夫婦というものが、人間という生きもののかりのきめであることを忘れるからである。この天与の性的要求の自由性と、人間・・・ 倉田百三 「愛の問題(夫婦愛)」
・・・ この頃好景気のある船会社の船長の細君は、外米は鶏の餌に呉れてやっている、これは最も簡単な方法だが誰れにでも出来る方法ではない。新潟では米を家畜の飼料にしたというが、勿体ない話だが、新潟の農民が自分の田で作った米と、私の地方の農民が、金・・・ 黒島伝治 「外米と農民」
・・・と云ったその言葉は極めて簡単であったが、打水の涼しげな庭の景色を見て感謝の意を含めたような口調であった。主人はさもさも甘そうに一口啜って猪口を下に置き、「何、疲労るというまでのことも無いのさ。かえって程好い運動になって身体の薬になる・・・ 幸田露伴 「太郎坊」
・・・新しいメンバーがはいってくると、簡単な自己紹介があった。――ある時、四十位の女の人が新しくはいってきた。班の責任者が、「中山さんのお母さんです。中山さんはとう/\今度市ヶ谷に廻ってしまったんです。」 といって、紹介した。 中山の・・・ 小林多喜二 「疵」
・・・ 外国の旅の経験から、私も簡単な下宿生活に慣れて来た。それを私は愛宕下の宿屋に応用したのだ。自分の身のまわりのことはなるべく人手を借りずに。そればかりでなく、子供にあてがう菓子も自分で町へ買いに出たし、子供の着物も自分で畳んだ。 こ・・・ 島崎藤村 「嵐」
・・・そのほうが簡単でいいわ。」「キクちゃんも、時々やるんじゃねえか。」 私は立上って、電燈のスイッチをひねった。つかない。「停電ですの。」 とキクちゃんが小声で言った。 私は手さぐりで、そろそろ窓のほうに行き、キクちゃんのか・・・ 太宰治 「朝」
・・・ 到底分らないような複雑な事は世人に分りやすく、比較的簡単明瞭な事の方が却って分りにくいというおかしな結論になる訳であるが、これは「分る」という言葉の意味の使い分けである事は勿論である。 アインシュタインの仕事の偉大なものであり、彼・・・ 寺田寅彦 「アインシュタイン」
出典:青空文庫