・・・煤色と紺の細かい弁慶縞で、羽織も長着も同じい米沢紬に、品のよい友禅縮緬の帯をしめていた。襷を掛けた民子もよかったけれど今日の民子はまた一層引立って見えた。 僕の気のせいででもあるか、民子は十三日の夜からは一日一日とやつれてきて、この日の・・・ 伊藤左千夫 「野菊の墓」
・・・ ○ 薬研堀がまだそのまま昔の江戸絵図にかいてあるように、両国橋の川しも、旧米沢町の河岸まで通じていた時分である。東京名物の一銭蒸汽の桟橋につらなって、浦安通いの大きな外輪の汽船が、時には二艘も三艘も、別の桟橋・・・ 永井荷風 「雪の日」
・・・ 私の父は山形県の米沢に生れて、少年時代をそこで暮した。父の気質は明く活動的であったから、自分の仕事のあるところを生活の土地として、どちらかといえば故郷を忘れて生活した。それでも老年にはいってから、たべものが変るにつれ、いつとはなし米沢・・・ 宮本百合子 「故郷の話」
鏡 父かたの祖母は晩年の僅かをのぞいて、生涯の大半は田舎住居で過ごしたひとであった。よく働いた人であった。何番目かの子供を生んで、まだ余り肥だたないうちに昔の米沢のどういう季節の関係だったのか、菜をど・・・ 宮本百合子 「この初冬」
・・・恐らく末弟――私からは伯父に当る少年が、当時住んでいた米沢で、この本を読みでもしたかと思われる。彼は、木綿の「裾細」をはいて、膝位まである雪を踰え、友達の処へでもゆき、「此は好い本だしか。何んでも書いて無えちゅものは無いしか」と、評・・・ 宮本百合子 「蠹魚」
・・・ 明治の初年、この村が始めて開墾されてから、変った生活を求めて諸国から集ったあまり富んでいない幾組かの家族は、あまり良いめぐり合わせにも会わないで、今に至って居るのである。 米沢人はその中での勢力のある部に属して居る。日常の事はさほ・・・ 宮本百合子 「農村」
・・・嫁いで来た中條も貧乏な米沢の士族で、ここは大姑、舅姑、小姑二人とかかり人との揃った大家内であったし、舅はもうその頃中風で、世間なれない二十二の花嫁としては大姑、姑たちの、こまかくつけまわす視線だけでもなかなか辛い思いをしたらしい。その時分の・・・ 宮本百合子 「母」
・・・ さまざまの政治的変動の余波を蒙って、多くの波瀾を経ながら辛うじて疏水事業が進行しはじめたとき、米沢藩だの久留米藩だのから下級武士たちがそれぞれ一家をひきつれて開墾へ移住して来た。そしてそれぞれにもとの藩の名をつけて久留米開墾という風に・・・ 宮本百合子 「村の三代」
・・・ 二人の祖母たちは、それぞれ祖父とともに波瀾の多い維新から明治への生活のうつり変りを経験したのであるが、父かたの祖父は米沢藩で、後には役人をして晩年福島県の開成山で終った。地位としては大した役人ではなかった様子であるが、この中條政恒とい・・・ 宮本百合子 「明治のランプ」
・・・ 父は明治元年に米沢で生れた。十六の年初めて英語の本というものを手にとったが、絵のところが出て来て始めてそれまで其の本を逆さまにして見ていたことが分った。俺の子供の時分はひどいものだった、そんな話の出たこともあった。大学生時代、うちの経・・・ 宮本百合子 「わが父」
出典:青空文庫