・・・弥陀を契ひに彼の世まで……結びし縁の数珠の緒を」という一ふしがある。 しかしすべての結合がこういった純真な悲劇で終わるとはもとより限らない。ある者はやむなく、ある者は苦々しく、またある者は人生の知恵から別れなければならないのである。有名・・・ 倉田百三 「人生における離合について」
・・・「お母あ、独楽の緒を買うて。」藤二は母にせびった。「お父うにきいてみイ。買うてもえいか。」「えい云うた。」 母は、何事にもこせ/\する方だった。一つは苦しい家計が原因していた。彼女は買ってやることになっても、なお一応、物置き・・・ 黒島伝治 「二銭銅貨」
・・・が、何かと談話をしてその糸口を引出そうとしても、夫はうるさがるばかりであった。サア、まことの糟糠の妻たる夫思いの細君はついに堪えかねて、真正面から、「あなたは今日はどうかなさったの。」と逼って訊いた。「どうもしない。」「だっ・・・ 幸田露伴 「鵞鳥」
・・・は建築が上手で、弘法大師なども初は久米様のいた寺で勉強した位である、なかなかの魔法使いだったから、雲ぐらいには乗ったろうが、洗濯女の方が魔法が一段上だったので、負けて落第生となったなどは、愛嬌と涎と一緒に滴るばかりで実に好人物だ。 奈良・・・ 幸田露伴 「魔法修行者」
・・・しのびの緒をたち、兜に名香を薫じた木村重成もまた、わずかに二十四歳で戦死した。彼らは各自の境遇から、天寿をたもち、もしくは病気で死ぬことすらも恥辱なりとして戦死をいそいだ。そして、ともに幸福・満足を感じて死んだ。そしてまた、いずれも真にいわ・・・ 幸徳秋水 「死刑の前」
・・・ 如意輪堂の扉に梓弓の歌かき残せし楠正行は、年僅に二十二歳で戦死した、忍びの緒を断ちかぶとに名香を薫ぜし木村重成も亦た僅かに二十四歳で、戦死した、彼等各自の境遇から、天寿を保ち若くば病気で死ぬることすらも、耻辱なりとして戦死を急いだ、而・・・ 幸徳秋水 「死生」
・・・ 丘を上る途中で、今朝買わせたばかりの下駄だのに、ぷすり前鼻緒が切れる。元が安物で脆弱いからであろうけれど、初やなぞに言わせると、何か厭なことがある前徴である。しかたがないから、片足袋ぬいで、半分跣足になる。 家へ帰ると、戸口から藤・・・ 鈴木三重吉 「千鳥」
・・・私は、そこの茶店では、頑強に池の面ばかりを眺めて、辛うじて私の弁舌の糸口を摘出することに成功するのである。その茶店の床几は、謂わば私のホオムコオトである。このコオトに敵を迎えて戦うならば、私は、ディドロ、サント・ブウヴほどの毒舌の大家にも、・・・ 太宰治 「乞食学生」
・・・しばらくして、奥さんは、旦那さんと一緒にやって来ました。あの子は、ねばねばして、気味がわるいから、あなたに一度うんと叱っていただきたいと思いまして、と奥さんが言い、旦那さんは、そうか、どこにいるんだ、と言い、奥さんは平然と、どこかそこらにい・・・ 太宰治 「男女同権」
・・・大きな涙の緒が頬を伝わって落ちる。夕映えを受けた帆の色が血のように赤い。 夕映えの雲の形が崩れて金髪の女が現われる。乱れた金髪を双の手に掻き乱して空を仰いだ顔には絶望の色がある。その上に青い星が輝いている。 炉の火が一時にくずれて、・・・ 寺田寅彦 「ある幻想曲の序」
出典:青空文庫